その人の生き方の姿勢というものは、
「どれだけ多くのものに葛藤して生きているか」で決まるように感じる。
いい加減な気持ちで生きていたら、
何気なく時は過ぎていく。
常に真剣に生きられるほど、凡人である私は強くはない。
だけれども、できるだけ人生の密度を濃くしたい。
そういう思いはある。
そのためにはやはり「葛藤」が必要だ。
「生きているだけ」
それだけでも大変なこと、
そう感じているならば、まずはその環境を自分のものにする必要がある。
出来るところから取り掛かり、ボトルネックを洗い出しては課題解決へと歩みを進める。
「現状に対する受容」それを目的として生きるフェーズも必要だけれども、そこで満足してしまったら「葛藤」は終わりを告げる。
環境を自分のものにした後の態度、
それが重要なのだ。
「このままでいいのか」と、「成長が止まってやいないか」と、そう疑問を投げかけられる強さが必要だ。
常に己に課題を課し、それを乗り越えていく。
その繰り返しの中で、後悔のない人生へと辿り着く。
私はそう考えている。
長い人生の先には、恐らくどこか辿り着く岸のようなものがあって、どこかで自分の居場所となる場所を見つけるのだろう。
それはもしかしたら「人生の終わりの瞬間」かもしれないし、ふとした時に訪れるものなのかもしれない。
立ち止まる時間は十分に作った。
だからとにかく前に進むしかない。
何に夢中になって、何に時間を費やすか。
人間にはある程度の裁量が与えられている。
にも関わらず、目に見える範囲のことだけで手一杯になり、そこから先のことは考えようともしない。
そんな現状に元凶はあるのだ。
「現状は変えられる。必ず良くなる」
そう確信を持って、世界を広げられることを信じ続けられる一年でありたい。
「葛藤」と「確信」
それは真逆なように見えて表裏一体なのだ。
人はそんなに単純にはできていない。
自らの経験によって、自らの生き方を肯定できるようになる。
「葛藤」の先に「確信」があるのだ。
「これだけやったのだから、もう出来ることは何もない」
そういう境地に至ることで、自己肯定感は強く深く進化していく。
もう一重、もう二重と進化させていきたい。
その先にきっと、人生は開けてくるから、
これまでの5年間は自分に対して優しくなるための期間だった。
甘やかすのはもう終わりだ。
今年はもっと強くなりたい。