私は「おっぱい」が好きだ。
このカミングアウトは何も今回が初めてではない。
過去にはこういう記事を書いている。
そんな「おっぱい星人」の私にとって、彼女の芸名はあまりにもストレートに内角低めのエグいところを突いてくる。
「どれだけでかいんだろう?」
そんなワクワクと共に画像を検索する。
まさに彼女の思う壺だ。
最近露出の増えてきた(いやらしい意味ではない)彼女だが、その芸名とは裏腹に実力派のタレントらしい。
音楽活動に加えて、そのユニットのマネジメントから司会業までこなす。
さらに活躍の幅を広げるために「ぱいぱいでか美」から「でか美ちゃん」へと改名するという。
タイトルに「元」とつけたのはそのためだ。
「名乗るだけでハラスメント」
世の中は私のように名前を聞いてワクワクしてしまう人種だけではない。
胸の大きさをコンプレックスとして生きている人もいれば、女性からの明け透けな性的アピールを好ましく思わない男もいる。
そんな声を受けての配慮もあっての改名のようだ。
新年一発目のテーマ記事でおっぱいに言及するとは、なんとも縁起が良いと感じるのは男目線が過ぎるだろうか。
先日、未就学の甥が母である私の妹に抱きついては胸をもみくちゃにする。
かたや、この歳になっても女性の胸に視線を向けてしまう私、
番組に出ていた女子プロゴルファーの方達の着ている、体のラインがくっきりとわかる服を見ると胸のあたりに視線は釘付けだ。
「揺れケア」なんて言葉がCMで流れるくらいだから、女性アスリートたちは、視線と機能性の狭間でいろんなものが揺れているのだろう。
おそらく本能的なものだから成長はしない。
男はきっと生まれてから死ぬまで、おっぱいが好きなのだ。
さて、ここからは「女性は平和の象徴」
そんな論調で綴ることにする。
『戦争は女の顔をしていない』
漫画化されて話題になった作品だ。
救護等で従軍する女性たち、
女性としての配慮は全くされない。
逞しくそれを笑い飛ばす強き女性たち、
その姿は戦争の浅はかさを浮き彫りにする。
争いの始まりはほとんどがメンツ、
多くは男の見栄やプライドなのだ。
グループワークをしていても感じるけれど、チームの中に女性がいるのといないのでは、雰囲気はガラリと変わる。
女性が一人いるだけで主導権争いの緩衝材となることが多い。
女性の存在は偉大だ。
生命を育む象徴として、乳児におっぱいをあげる様子を取り上げることがある。
それは決して男目線だけではなく、争うとは対極にあるものとして人の目に映ることだろう。
そうやってフェミニスト感を出していれば、おっぱいについて語っても許されるのだろうか。
そんな予防線を張っている私、
詰まるところ、私はおっぱいが好き、
ただそれを主張したかったのかもしれない。
元「ぱいぱいでか美」さん、
彼女をみるたびに私の視線は胸のあたりに釘付けだ。
いや、彼女に限らずだろう。
どうか視線に気がついても「胸ばかり見てるなこいつ」と軽蔑しないでほしい。
それは本能的で仕方のないことなのだ。