「国家」という体をなしていれば、
どうしたって互助的な要素は生まれる。
イデオロギーが左に偏っていなかったとしても、
今や政治における中道はだいぶ左寄りだ。
不満を挙げればキリがないのかもしれないけれど、
「福祉」という観点でいえば日本はだいぶ恵まれている。
最悪働かなくても経済的に死ぬことはない。
カジュアルに精神疾患の診断を受けることができるし、ジャッジが厳しくなったとはいえ、コロナ禍ということもあり生活保護の受給者は増加傾向にある。
衆議院選挙で躍進したある政党は、声高にベーシックインカムを進めると主張していたし、世論も同調する向きがある。
かつてないほどにその機運は高まっているのかもしれない。
政府与党にしても総理を筆頭に「賃金を上げる」と掲げており、
具体的な施策として税制優遇措置により企業の内部留保にメスを入れるとのこと、
思い切ったこと言いだしたと感心する。
「格差が広がっている」というのは間違いない。
世界的な潮流の多分に漏れず日本でもその傾向は進んでいる。
トマ・ピケティが主張したように、労働賃金の上昇率よりも、投資による利益の上昇率のほうが上をいっているのだから当たり前だ。
お金がある人のところにさらにお金が集まる仕組み、
お金のある人がルールを作っているのだからそれは当たり前のことなのだろう。
そうなってくると、資本主義社会において政治はどのように「富の再分配」を行うべきなのだろうか。
適当な方針が思い当たらない。
あまりにもガチガチに面倒を見ることになると、自由のないお隣の大国のようになってしまうし、努力した分が賃金として跳ね返りにくくなるだろう。
バランスよく徴収して、バランスよく分配する。
全ての人が得をする方針など存在しない。
おまけにしがらみもあるだろう。
その中で適切に公費を運営することが、ある意味では唯一の政治家の仕事と言えるかもしれない。
普段はあまり意識しないけれど、国という枠組みにしたって、結局は「何かに所属すること」になるのだろう。
日本国に所属して、日本国に税金を納めている。
その見返りとして補償や保険を含めた公共サービスを受ける。
そういうシステムなのだ。
国が破綻すればそのシステムも破綻する。
少子化に伴う国の未来に対する見通しは厳しいものになっている。
大きな目で見れば、独り身の私ですら、そこにリソースを集中させることは至極真っ当に思う。
政府の進めている「18歳以下への給付金」という経済対策、
「給付金」というのは、最も単純な「富の再分配」の形だけれども、
わかりやすい分、それは諸刃の剣なのだ。
恩恵を受ける人にとっては、わかりやすくポピュリズム的な効果を期待できる一方で、恩恵を受けない人にとっては逆ポピュリズムと言うべきか、わかりやすい反感を買う。
子供のいない生活困窮者はたくさんいるし、
子だくさんでも生活に困らない富裕層もいるだろう。
どこで線引きをしたところで反感が出るのは当たり前だ。
しかし、わかりにくい形での経済政策を行なったところで、国民が効果を実感できなければ意味がない。
そう考えると、一人当たりの金額を減らしてでも、もう一度、全国民への再分配をした方が効果はあったのではないだろうか。
いずれにしても、経済に公金を注入する必要はある。
だけれども「やり方」は吟味しなければならない。
見えないところでは利権が絡んでいたとしても、表向きには「平等」に見せる。
誰もがスマホという高性能カメラを持ち歩き、指先一つで世界に対して情報を発信できる。
そんな一億総ジャーナリスト時代なのだから、片手落ちのような甘さは命取りになる。
大変な時代になったものだ。
求められるものはどんどん高くなっていく。