足が痛い。腰が痛い。腕が痛い。
そして頭まで痛くなってきた。
私は機械ではなく生身の人間だから、
無限に働くことはできない。
「満身創痍」
身体中が疲れ切っている。
それでも自然と感じる心地よさ。
なんとも不思議なものだ。
こういう経験をするチャンスは、年をとるほどに減っていく。
だから、こういう経験をできることはありがたい。
そう思えているうちは大丈夫だろう。
去年の転職を境に、私の心持ちは劇的に変わった。
安定した立場を捨てて、裸一貫に近い状態で新たな世界に飛び込んだ。
仕事は想像していたよりも大変だ。
それなのに、私はプライベートでも変化を求めて忙しさのど真ん中に突っ込んでいく。
挙句の果てには、彼女ができて、結婚へと少しずつではあるが歩みを進めている。
正直、私は疲れ切っている。
丸一日休める日など皆無だから、疲労は蓄積する一方だ。
それでも私は今「充実している」
昔の自分を取り戻したかのように、無理に無理を重ねている。
一度メンタルをやってしまったから、自分を常に監視している私。
ここ数年はブレーキばかりかけていたけれど、少しタガが外れたみたいだ。
ここから先はチキンレース。
自らの躁状態をコントロールしつつ、充実した日々を送り続ける。
そんな緻密なバランス感覚を求められるのかもしれない。
成長には負荷が必要だ。
だけれども、潰れてしまうわけにはいかない。
一度潰れてしまったら、リカバリーに多大な労力を費やすばかりか、下手したら再起不能となる。
だから、潰れないギリギリのところ、
それを攻めていくことが一番成長が早いのだろう。
「前の私」だったら、重圧に押しつぶされそうになりながら、鬱々とした気持ちのまま、その気持ちを発散させることなく走り続けていたはずだ。
だけれども、「今の私」は一味違う。
その気持ちを発散するための術を手に入れた。
一つはブログであり、一つはランニング、
そしてここ最近では、付き合っている彼女の存在も大きい。
私の頑張りを「これでもか」というくらいに全力で応援してくれる彼女の存在は、私にとって希望の光だ。
「人生が先へと進む実感」
今の私はそれを感じているのだ。
だから、今抱えている苦労が、私の理想へと繋がっていると思うことができる。
それが大きいのだ。
人は、心と体が矛盾した行動をとり続けると壊れてしまう。
少しずつ、体だけではなく、心も蝕まれていくのだ。
心を「毒」に浸したままで、気がつかないふりをし続けられるほど、私は器用な人間ではない。
そこは、私が私であるために変えられない部分なのだろう。
その辺りの感性は、私と彼女は驚くほど同じものを共有している。
だから、彼女には私の抱えているものが理解できるし、同じく私にも彼女の理想を理解することができるのだ。
書くつもりはなかったのだけれども、結局、また彼女のことばかりを書いている。
今の私にとって、それほど彼女の存在は大きいのだろう。
だからこそ、頑張ることができる。
私に生じた大きな2つの変化。
「転職」と「彼女との出会い」
ここ数年かけていたリミッターのほとんどを解除して、倒れるか倒れないか、ギリギリのところを攻めているけれども、今の私は幸せを感じている。
心と体の方向が一致しているうちは大丈夫だ。
体を労わりつつも、確かな歩みを続けたい。