「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「新しい環境」に慣れるまでに必要な期間

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新しい環境に身を投じた時に、

初めは誰だって戸惑いを感じるもの。

徐々に時間をかけて、その環境を自分のものにしていくのだ。

 

そのために必要な期間。

もちろん人によって差はあるのだろう。

 

一説によれば3ヶ月、ある人は100日と言っていた。

そして私の実感では4ヶ月。

それまでの成功体験により、感覚は変わってくるのだろう。

 

私は昨年転職をして、ここ最近まではヒーヒー言いながら働いていた。

それも少しは落ち着いてきた。

自分なりのやり方を確立できたのか。はたまた、たまたまそういう時期なのか。

結論を出すためには、もう少し時が必要になりそうだ。

 

「4ヶ月」という期間。

 

私がパニック発作を起こしてから自分の生活を取り戻すまでにかかった期間だ。

まともに寝ることもできない状態が続き、「人生終わった」と考えながら生きていた。

 

しかし、人生はそう簡単に終わってくれない。

地獄のような日々を乗り越えた先に、私は一つ執着を手放すことができたのかもしれない。

 

必要か以上に背負っていた看板のいくつかをその場に捨て去り、

徐々にまともな思考は戻ってきた時には、他人の評価を気にすることなく、自らの歩みに自信を持つことができるようになった。

 

そこから私はビジネスの面で、それまで以上の成果を上げることになる。

元々備えていた「粘り強さ」に加えて、手に入れた言葉の「力強さ」は鬼に金棒だったのかもしれない。

 

そこからは、価値観をゼロから作り上げたように思う。

私は地獄のような経験を糧として、自分の人生を生きるようになったのだ。

 

余談が過ぎた。

話を戻そう。

 

今回転職をしてからの私の4ヶ月は、かなり過酷なものだった。

転職を機に、辞めれば良いのに趣味の分野でも新しいことに首を突っ込んで、どんどん忙しくなる。

そこにひと段落ついたのが、ちょうど転職から4ヶ月が経った頃だった。

 

そこでひとつ足がかりを作り、それを地盤として仕事の忙しさは加速していった。

加えてプライベートでも転機が訪れて、私は結婚に向けてアクセル全開で進んでいる。

 

私は100日ごとにブログに区切りの記事を書くことで、自らの歩みを振り返る機会を設けているが、ここ最近はあまりにも変化が大き過ぎて、あまり自分のことを書いている実感が湧かなくなっている。

 

それでも、区切りを設けることで、自らを客観的に考察して、今一度足場を固めることのできる機会はありがたいものだ。

 

だから、意識して区切りを設けることは大事なこと。

 

3ヶ月でも、100日でも、4ヶ月でも良い。

自ら期間を決めて、そこまで努力すれば見える世界が変わると信じて突き進むこと。

新しい環境に身を投じた時に、目に見えるところに目標設定することは効果的だと感じる。

 

人は毎日成長している。

新しい環境に身を置けばなおさらだ。

 

それを実感できないから不安になる。

それならば、成長を実感するための機会を自ら設ければいいのだ。

 

私の場合は、過去の経験から最初の4ヶ月だと設定している。

そして、ブログでは100日ごとに振り返りを行なっている。

さらに言えば、1年前の同じ日に自分が何をしていたのか、日記を振り返ることもある。

 

未来を描くためには、過去から逆算した今を知ることが大事だ。

自分が100日でどこからどこまで進んだのか。

1年前と比べて、どのように変わったのか。

その情報全てが前に進むための糧になる。

 

だから、最初の数ヶ月は「何があっても我慢する」と決めて、その期間が過ぎた時に歩みを振り返れば良い。

それができたならば、そこからまたラップを刻み、少しずつ先へと進んでいることを実感するのだ。

 

1年ほど経った頃には、新しかったはずの環境は、日常へと染まっているはずだ。

別にどうしても馴染まなければ、その環境に執着する必要もない。

適応できなかったからといって、簡単に人生は終わってなどくれないのだ。

 

逃げ道を作りながらも、目の前のことに集中して、コツコツと積み重ねるしかない。

その中から学び、力をつけるのだ。

 

どこかに所属して、その立場にしがみつくことが目的になってしまったら、おそらくそこで成長は止まってしまう。

 

長い人生だ。

だけれども、不確定な未来のことばかりに怯えても仕方がない。

 

今日を笑顔で過ごすために、私は今日を生きる。

明日も笑顔で過ごすために、私は今日を生きる。

それくらいでちょうど良いのだ。