これでもか、と言うくらいに動き回って、
これでもか、と言うくらいに考え尽くす。
その先にある世界は、どのような景色をしているのだろうか。
所詮、自己満足なのかもしれない。
どんなにガムシャラに生きたところで、
私の人生で生み出せるものは限られているのかもしれない。
私の生み出したものが「世界を変える」だなんて事は、初めから期待などしていない。
それでも、私はガムシャラに生きる。
その理由を考えてみても、適切な動機は思い当たらない。
私に取っての「生きる」と言うこと。
もしかしたら、私は生き急いでいるのかもしれない。
人生を余す事なく堪能したいと、そう考えすぎているのかもしれない。
「疲れ切った先」にあるもの。
それは確かに充実感を与えてくれる。
そして、その充実感には中毒性があるのかもしれない。
だから、私はそれをぶら下がったニンジンのように捉えて、ガムシャラに動き続けるのかもしれない。
要は、やはり自己満足なのだ。
それくらいに割り切って進めば良い。
「私は自ら望んで、好きでガムシャラに生きている」
そう捉える事で、全てを誰かのせいにする事はできなくなる。
全ては自己責任なのだ。
選んだことも、選ばざるを得なかったことも、
全ては自己責任。
そう考えると、いくらか肩の力が抜けるのかもしれない。
「誰かの幸せのために生きる」
そんなにたいそうなことではない。
私は、そうやって生きることを自ら選択したのだ。
それでいい。
続くうちは、それでいいのだ。
あまりにも疲れて体が動かなくなってしまったのであれば、その時に考えればいい。
今はまだ、それで良いのだ。