心を動かされる。
それが「生きている証」と言えるのかも知れない。
心を動かす。
主体的にそれに取り組めているのであれば、
おそらく些末な悩みに囚われることは無くなるのだろう。
努力の結果として報われる。
基本的にはその繰り返しなのかも知れないけれど、ふとした時の「思いもよらない感動」
その時に感じる充実感、
それもまた格別のものだ。
それを感じるためには動き続けるしかない。
手足を動かし続けるしかない。
心が動かないと感じるのであれば、まずは手足を動かす他ないのだ。
「気力がない」と言いながら、同じことを繰り返していて、満たされないと感じている人は多いだろう。
コロナ禍という環境も足を引っ張る。
だけれども、動かせる範囲で動かす。
動かさないでいると、手足は鉛のように重くなり、ますます動きにくくなるのだ。
「停滞感」を感じている時ほど、何か新しいことを始めなければならない。
新しいことを始める意識を持たなければならない。
おそらくは、そこに「生きるための活力」というものが存在するはずだ。
活力がなくても生きることはできる。
だけれども、どこか満たされずに「生かされているだけ」になる。
人生には「小さなドラマ」が必要なのだ。
それを手繰り寄せるのは自らの行動でしかない。
もしかしたら私は、それを求めてブログを書いているのかも知れない。
些細な行動を積み重ねることで、少しずつ行動は変わっていく。
その一つが私にとってブログを書くということなのかも知れない。
そういうところから始めるしかないのだ。
抜け出すことは必ずできる。
そう信じてジタバタするしかない。
自分の人生の責任は自分で取るしかないのだ。
どんなに理不尽な目にあったとしても、誰も代わりに責任を取ってくれることはない。
選択したのは自分自身、選択しなかったのも自分自身、
満足できない現状を誰かのせいにすることはお門違いだ。
「小さな感動」を拾い集めて、
それを糧にして心を動かしながら生きていく。
心を動かし続けたい。