20代もそこそこの世代と触れる機会が増えた。
彼ら、彼女らと接していて感じることは、
みんな一様に「素直ないい子である」印象を与えることだ。
必ずしも「素直ないい子」とは限らない。
そう見せる技術が一様に発達している印象を受ける。
少なくとも私たちの世代であれば、
ギラギラした野心むき出しな人が一定数はいたように思う。
しかし、今の若者たちは、内に秘めたものはあるのかもしれないけれど、そういうものを表に出さない。
それどころか、やる気があるように見えても、実はやる気がなかったりする人もいる。
表面的には、ハキハキ「やります」と、
いざ仕事を任せてみると、やり方がわからないわけではないのに、積極的に取り組む意欲が見えてこない。
進捗が気になるから私も声をかけるけれど、
その時の対応はなんら問題なく、やる気があるように見える。
だけれども、時間が経つとそれは表向きだけなのだと気がつく。
・「出る杭になって打たれること」を恐れている
・「わからないこと」を人に聞くことができない
そんな特性を持っている人が多いのだろう。
おそらく、生まれながらにして「ネット社会の住人」であることが影響している。
ネットの世界では、些細なことですぐに叩かれる。
少しばかり人とは違った主張をするだけでも、不特定多数から「やばいやつ」との中傷を受けることも珍しくない。
その見えない圧力を恐れるあまり、本音を隠しながら生きる術を幼くして身につけることになるのだろうか。
そして、大抵のことは人に聞くよりもネットで調べた方が効率が良いと思っている。
幼くして、インターネットという膨大なアーカイブを使いこなすわけだから、これまでも情報は自分で調べて生きてきたのだろう。
だから、人に頭を下げて聞くという経験をしてこなかった。
それでうまくいってしまうものだから、それで済むと思ってしまうのだ。
自分で調べたことによる成功体験の信仰者、
そういう傾向が強いのだろう。
そうなると、扱いがまた難しい。
「一人でできる」と思っており、表面的には問題なく取り繕う。
いざ、となってみると何も進んでいない。
そして、質問もしてこないのだ。
「いい子」
学生のように責任のない立場であれば、ニコニコして当たり障りのない対応をしているだけで、難は去っていくのだろう。
だけれども、仕事を任されるからには責任が生じる。
どうも、その辺りの価値観が私たちとは大きく違うように感じる。
「パーソナリティの肥大化した時代」
私はブログで今の時代をそのように表現してきた。
今の若者たちは、特に個人主義で責任を負うことを避けたがる。
そして、今の時代のお金の使い方は、「他人に責任を押し付けるため」という用途が多い。
「お金で解決できること」は増えていき、それを盾にして、ますます責任を負いたくない人たちが増える。
そうなると、一部の人たちにその皺寄せが行き、ますますその「一部の人」になることを避けたがる。
要はコスパが悪いのだ。
それならば対価を求めず楽に生きたい、とそうなる。
そうやって、責任者への対価は上がらないのに、責任ばかりが増えていく。
そんな立場に魅力を感じない若者たちは、コミュニティに深く関わることを避け、「そこそこでやっていければいい」となり、パーソナリティはますます肥大化していく。
若者たちにとって魅力的に映る立場。
責任を負うことで、大きく成長できることを実感する経験。
そういうものを提供できなければ、
これから先の時代は明るいものにははならない、とそう感じるのは私だけだろうか。
1割のやる気ある人たちに責任が集中して、
後の9割は仕事もそこそこに不満を口にするだけ。
そして、無責任な人たちの不満の捌け口にされる責任者たち。
「責任を負う」ってことの価値を見直さないといけないんじゃないかな。
責任を負って努力している人たちへのリスペクト。
私はそれを忘れずにいたい。
そして、自分もできるだけ年相応の責任を担い、他人事のように思いたくはない。
いつから多くの若者たちが「無気力」に支配されるようになってしまったのだろうね。
「自分の時間」をそんなに楽しく使っているのだろうか。
何度も書いていることだけれども、
「命の使い方」
そのことに目を向けずに、
「命は大事だ」とばかり主張する、
そんな風潮に違和感を感じている。
人生100年時代となり、ますます「命の使い方」に目を向けるべき時なのではないだろうか。
ホッブズの主張する「短くて不快な人生」を「長くて不快な人生」にしてしまうのか。
それとも「長くて快活な人生」に変えるのか。
私は、そのためのキーワードは「主体性」だと考えている。
「責任を負うこと」での成功体験を、
多くの若者につかんで欲しいと思うのだけれども、
どうやらそれは簡単なことではなさそうだ。
私もさらに成長しなければならないのだろう。
私が魅力的な人間でなければ、
おそらく後輩たちの心を打つことはできない。
なんともまぁ、
歳を取ることに対する責任とは重いものだ。
それを放棄しない選択をするだけで、両手は埋まってしまうのだ。