先日放送された『世にも奇妙な物語』を見ていて感じたこと。
もしも、自分が過去の自分に対してアドバイスをできるのならば、私はいつの自分に何を伝えたいのだろうか。
作中では、将来結婚することになる2人の男女の交際が始まる瞬間に、結婚した後の未来から来た本人たちが、「交際するべきだ」、「いや交際するべきではない」と議論を始める。
オチを書くことは控えるが、きれいな形で終わった。
『世にも奇妙な物語』には珍しく、コンパクトで無駄のない構成に、素晴らしい出来だと感じた。
作品の出来が素晴らしいだけではなく、頭に残るテーマでもある。
そこで、冒頭の疑問につながる。
「もしも、自分が過去の自分に対してアドバイスをできるのならば、私はいつの自分に何を伝えたいのだろうか」
ライフステージにより、幸せな時期もあれば、そうではない時期もある。
そして、今の私は、客観的に見てかなり幸せな時期なのだと感じる。
結婚したばかりなのだから、それもそのはずだが、もしかしたら、来年には後悔しているかもしれないし、もっと幸せを感じているかもしれない。
今の私には、未来の私がどうなっているのか、想像することもできない。
作品と同じように、もしも未来の私が、今の私の目の前に現れて、散々アドバイスをしてきたとしたら、私はそれをどう受け止めるのだろうか。
多くの男は、結婚する前には相手の年齢と容姿にこだわる。
しかし、結婚してしばらくすれば、おそらくそれは大した価値のないものに変わり、相性や居心地の良さを求めるようになるのだろう。
やがては、同居人としてしか見られなくなり、生活能力や収入に目が向くのかもしれない。
妻のことを異性として見られなくなった先に、家族としての愛情を育てることができていないと、苦しい思いをすることになるであろうことは、想像に難くない。
それは、妻にしたって同じことで、私に対して同じ思いを抱くことができないと、苦しい思いをするだろう。
元々は他人から始まり、異性としての愛情を深めて結ばれる。
そして、長く共に過ごすことになってからは、また別の形での愛情を育む必要がある。
私が思っていたよりもずっと、「夫婦」という関係は、難しいものなのかもしれない。
だからこそ、今この瞬間にある、妻への想いは、もしかしたらこの先、2度と感じることのできないものなのかもしれない。
そう考えると、今は大事な時期だということになる。
だいぶ話が逸れたな。
私が過去の自分に対するアドバイスをする場合の話だった。
ここで少し間を空けて、真面目に考えて見たけれど、今の所の結論としては、「聞きたいことはあるか?」という問いかけを過去の私に対して行い、過去の私から質問があれば、それに答えるというものだろうか。
おそらく、異性関係で最も苦しんだ時期は、31歳の時だ。
そして、その時の私はおそらく、未来の私が現れたならば、間違いなく一つの質問をするだろう。
「自分の結婚相手はどんな人なのか?」
「結婚をできるのか?」という問いの後かもしれないが、間違いなくこれだけは聞くだろう。
そして、私は過去の私にこう答える。
「これ以上はないと思えるくらいに素敵な人と結婚できるから、絶対に途中で妥協はするな」
未来の私が過去の私に言えることは、
それくらいしかないのかもしれない。
あとは、その時の私が、その時の気持ちに従って、
自分で未来を掴み取る。
未来の自分も他人でしかないのだろう。
だから、今をしっかりと生きたい。
そう思った。