新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』公開を控えて、
先日、金曜ロードショーで同監督作品である『君の名は。』が放送された。
翌週には『天気の子』を放送して、機運を高めた状況だ。
最新作は11月11日に封切りとなり盛況のようだ。
私の新海誠監督への評価は、過去に記事にした通りだ。
彼は、間違いなく天才だ。
「映像も、演出も、構成も文句なし。
ただ、根本的にストーリーを好きになれない」
私はいつも、新海誠氏のことをそう評している。
しかし、この『君の名は。』は、新海誠監督作品としては珍しく、外連味のないハッピーエンドで終わる。
この作品を初めて見た時の私は、
「新海誠が売れ線で作品を作ったら、そりゃ売れるわ」だった。
一度見てからは、不思議と再度『君の名は。』を見ることなく過ごしていたけれど、改めて作品を見直して、その才能に脱帽した。
あまりにも中二病に振り切って、惜しげもなくそれを表現するところからは、気持ち悪さを通り越して爽やかさを感じる。
満員電車で「お前だれ?」からの紐を渡すシーンでの伏線回収は、悪寒が走った。
最後の2人が出会うシーン。
すれ違う電車の窓越しに、お互いが「あっ」とした表情をして、
そこから、理由もわからずにお互いを探して走り出す。
そこから階段ですれ違いざまに声をかけての「君の名は?」
その「爽快感」は見事としか言いようがない。
一見、悪口のように聞こえてしまうかもしれないが、そうではない。
繰り返すが、私は新海誠監督を天才だと思っている。
ただ、その凄さを文章化することが難しいのだ。
人の心の奥底に鎮座して、登場の機会を失ってしまった「青臭さ」
それを刺激することにかけて、彼の才能は群を抜いているのだろう。
彼の作品を見ていると、言いようのない胸の高鳴りを感じるシーンに出会うのは、私の中にある「青春」が、まだ枯れていない証拠なのかもしれない。
だから、私は、私の中の青春が枯れていないことを確認するために、彼の作品が出るたびに、ワクワクしながらそれを見る。
そして、大抵はストーリーが私の性に合わず、作品全体としては「微妙だ」と感想を抱く。
それでも、ある種の中毒性にやられて、ワクワクしながら、次も彼の作品を見たいと思う。
不思議なことに、その繰り返しなのだ。
若い世代に話を聞いてみると、私が思った以上に「セカイ系」を受け入れる土壌ができているらしい。
『天気の子』を見て泣いたという人もいたし、心から共感したと語る人もいた。
パーソナリティが肥大化した時代だから、「世界よりも愛する相手」
それを選ぶことに対する抵抗は、私たちの世代ほど大きくないのかもしれない。
そこにぶち込まれた、新海誠作品という「青春」に振り切った最終兵器。
それが見事に若者たちの心に刺さっているのだろうか。
世代によって、大きく見方が変わる彼の作品の発する不思議な魅力。
それは「青春」に対するアプローチの変化から来るものなのかもしれない。
私はこれからも、新海誠監督作品を見続けるだろう。
『すずめの戸締まり』は、どのような作品に仕上がっているのだろうか。
楽しみでもありつつ、見た後の残念感を恐れつつもある。
私と新海誠監督作品は、このようなスタンスで関係を続けていくのだろう。