「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

スマホ片手にゲームを開きながら電車で寝ている人

f:id:tureture30:20221118073144j:image

 

最近よく見かける。

スマホでソシャゲを開きながら寝ている人。

いつも同じ人というわけではないから、そういう人が多いのだろう。

 

そんな私も人のことは言えない。

家でゲームをしながら寝ていることもある。

 

冷静に考えると、ソシャゲはかなりQOLを下げている気がする。

どこか強迫観念に囚われて、時間に追われている気になることがあるからだ。

 

息抜き程度に済ますことができるのであれば、生活を充実させるために有用なアイテムとなるけれど、時間を割けば割くほどに、プレー時間は義務となり、時間を割けば割くほどに、今まで費やした時間をもったいなく思い、やめられなくなる。

 

「ゲームに夢中になることが大事な時期」

 

確かにそういう時期はあるだろう。

停滞感が強く、先に進んでいる実感なく生きている時、人は何かが先に進んでいる実感を求めて、ゲームに夢中になるのだ。

そして、時と共にそれも義務感となり、惰性で続けるだけで時間の浪費となる。

 

少なくとも、私とソシャゲのパターンはいつも同じだ。

 

ゲームをやる時間を他のことに使った方が、人生のためになることは感覚的に理解できるのだけれども、どうしても止めることができない。

 

ゲームの中毒性にどっぷりと肩まで浸かっている状況だ。

私にはやるべきことがたくさんある。

それでもゲームの日課部分は続けている。

もはや、これは生活の一部となっている。

 

はたして、私はこの時間を別のことに使えるのだろうか。

それとも、生活の一部として人生に存在し続けるのだろうか。

 

これから先のことはわからない。

少なくとも私は、ソシャゲをする時間に対してデメリットばかりを感じている。

 

それならば何とかしなければならない。

しかし、私は今日もソシャゲに時間を割いている。

 

見方を変えれば、ソシャゲというどうでもいいことに頭を切り替えて、積み上がる数字に癒されているのかもしれないという側面もなくはない。

 

これは悪循環なのか。

それとも、必要な時間なのだろうか。

 

私とソシャゲとの関係は、これから先、

どう進んでいくのだろう。

生活が破綻することだけは避けなければならない。

 

電車でスマホ片手にゲームを開きながら寝ている人を見て、自分の現状を重ねてしまった。