「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「無敵の人」の犯行

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埼玉で発砲立てこもり事件が起きた。

詳しく状況を調べたわけではないが、

これは「無敵の人」の犯行なのではないかと思う。

 

「無敵の人」

失うものが何もないと自認しており、自らの行動に制限の効かない人。

一昔前に流行った言葉だ。

 

犯人は86歳で反社会的勢力との繋がりを疑われている。

おそらく昔は、文字通り「命を賭けて」危ない橋を渡りながら生きてきたのではないだろうか。

 

栄光を掴み取った時もあったのかもしれない。

しかし、年をとり引退するにつれて、生きがいを失ってしまった。

「過去の栄光」と「現在の自分」を対比させて、悶々としながら生きる。

 

自宅に火を放ったことからも、今回の犯行は人生最後の花火だったのだろう。

社会に対して大きなインパクトのある花火を打ち上げて、人生の最後を締めくくりたい。

 

そんな何も失うものもない確固たる意志があったのかもしれない。

人に対して直接危害を加えることはなかったようだ。

そればかりか、人質の方は解放された時に、犯人がいると思しき方向に一礼をしてから建物を出ている。

 

少なくとも、この行為をする余裕がある状態で人質の方は解放された。

これは犯人が人質に対して恐怖を与えていなかった証拠だろう。

 

人は虚しいね。

「生きてきた証」は人それぞれ。

 

だけれども、自らが「生きた証を残したい」と願いながらも、それを「残すことができていない」と感じた時、おそらく人は「無敵の人」になることができる。

 

いろいろなものを犠牲にして、そういう生き方しかできなくて、気がつくと周りには誰も残っていない。

自分が生きてきた意味はなんだったのだろう。

自分がこの世に生きた意味はあったのだろうか。

 

終わりが近づくほどに、自らの命の意味を考える。

そして、大抵その頃にはどうしようもない。

 

今回の犯人には、たまたま手元に拳銃があった。

だからそれにすがるように、最後の花火を打ち上げようと行動に出たのかもしれない。

 

誰からも存在を認知されないくらいならば、

いっそ大きな花火を上げて終わりにしたい。

もしかしたら、自宅よりも塀の中の方が居心地が良いと思ったのかもしれない。

 

外から見たら、明確な動機のない犯行。

人は「自分の存在が無かったことにされる」

そういうことに耐えられない。

 

そこから逃げ出すためには、

「無敵の人」になることだってできるのだ。

 

「多様性を認める社会」

聞こえは良いけれども、生き方全てが自己責任の社会だ。

これから先の未来は、こうした「無敵の人」が増えてしまうのではないか。

 

敷かれたレールの上を生きて、皆と同じものを手に入れやすい人生の方が、相対的に見て欠落感を感じにくい人生を生きられるのかもしれない。

 

多様性を認める代わりに責任を取らない。

場当たり的に「聞こえの良い方向」にばかり方向転換を繰り返した末に、社会はそういう方向に向かっているのかもしれない。