先日、生活保護等の福祉に関わる支援をしている人の話を聞いて、とても考えさせられたので、記事にしておく。
「教える側」と「教わる側」
「治療する側」と「される側」
「いじめる側」と「いじめられる側」
人の立場なんてものは、ほんの少しの巡り合わせで簡単に入れ替わるのだ。
人生、何が起こるかわからない。
ちょっとしたことで、立場が180°変わることは珍しくないのだ。
だから、たまたま恵まれた立場にいるからといって、それを武器に他人のことを蔑ろにする人は、立場が弱くなった時に躓くことになる。
それまでの行い次第で、転落した時の周りの態度は全く変わるのだ。
「誠実でありたい」
私はそう思って生きているけれども、それはリスクヘッジなのかもしれない。
そう考えると、人の本質は全て自分の幸せを守ることにつながっているのかもしれない。
「人も所詮は動物」
人の愚かさや醜さ。
自分のことを守ることに必死な人は、他人のことなど考える余裕がないのだ。
だから、人として問題がある行動も平気で行う。
それを正当化する理由をでっち上げて、平然と周りに迷惑をかけるのだ。
認知の歪みが日常に変わると、それを当たり前だと思い込むようになる。
習慣とは恐ろしいもの。人は環境に簡単に染まってしまう。
だから、自分を戒めるために、常に自分を客観視することは大事なこと。
周りを見ずに突っ走ってしまうと、知らないうちにとんでもない方向に進んでいることも珍しくない。
そして、そこから引き返すことができなくなり、進む方向が間違っていることに気がついていても、気がつかないふりをして進み続けるしかなくなるのだ。
どこかにターニングポイントはある。
そこで引き返さないと、取り返しのつかないことになる。
その時に選択を間違えてしまうと、その積み重ねにより、人はおかしくなってしまうのだ。
「理想が高い」という事は諸刃の剣。
それと現在の自分を比較して、あまりにも乖離している場合は、その状況を受け止めることができずに自暴自棄となる。
「どうなっても良い」
その時はそう思ったとしても、結果として、人は簡単に人生を終わらせることはできない。
長い目で見て、より多くの苦労を引き受ける道に進むことになる。
そういう気の迷いの先で、人は苦労する。
初めからおかしい人の方が珍しいのだ。
社会的弱者と多く接する仕事に携わる人の話を聞いて、そんなことを考えた。