「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「発達障害」という名のセーフティネット

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もしもベジータさんが、昨今の何でもかんでも「発達障害」だと診断される風潮を見たらこう言うだろう。

 

「まるで、『発達障害』のバーゲンセールだな」

 

個人的な意見だが、発達障害と診断され得る気質の持ち主であっても、側から見たら何ら問題なく社会生活を営んでいる人はたくさんいると感じる。

 

何度か引用しているが、私の印象に残る言葉。

新海誠監督の『言の葉の庭

「人間なんて、みんなどこかちょっとずつおかしい」

まさにその通りだと思う。

 

いかに社会性があるように見せかけていても、一人になればいかがわしい性癖をあらわにしてみたり、ベッドの中では普段の姿からは、予想もできないように燃え上がっていたりもする。

 

変な組み合わせの食べ方が好きだったり、どうしても許せない相手の態度が、他の人から見たら一般的だったりもする。

 

発達障害

 

要は、診断されることで何者かになりたがる。

それを自己存在の拠り所として生きていく。

そういう生き方を否定はしないけれど、それによって卑屈になるのであれば、賛同しかねる。

 

少し前に流行った「HSP」なんてものもそうだけれども、人は自らにラベルをつけることで、何者かになりたがる。

そのラベルを見て、自分も何らかのコミュニティに属していることを確認して安心するのだ。

 

そのためのセーフティネット

何度か同じようなことを書いているけれど、

発達障害」ってものは、診断された本人が生きやすくなるためのセーフティネットなんじゃないのかな。

 

それによって救われる期間もある。

だから、それを否定するわけではないけれど、長いことそれを居場所にしてしまったら、そこから抜け出すことが難しくなる。

 

自分で自分の頭の上に天井を作ってさ。

「ここから先には上がらない」って、そういう生き方しかできなくなる。

それがコンプレックスとして強くなると、天井はどんどん下がってきて、膝を抱えてうずくまらないと居場所を確保できなくなる。

 

そういう姿を見ていると、なんだか「もったいないな」と思う。

 

私は自らに「童貞こじらせ男」というラベルをつけて、長いこともがいてきた。

それでも自分の可能性を諦めなかった。

コンプレックスを全面に晒すことで、それに対する反骨心をたぎらせて進んできた。

 

それが100%正解ということではないけれど、私はそれで今のところは望む未来を掴み取った。

 

何を書きたいかというと、要は、セーフティネットが長期的には前進するための材料として機能することが大事なのではないか、ということだ。

 

発達障害だからこそ頑張る」なのか、「発達障害だから頑張ることができない」なのか。

ラベルを居場所にしてしまうと、そこから抜け出すことは容易ではない。

自らの欠けた部分を見つめた上で、それを受け入れる作業は、大きな痛みが伴うのだ。

 

それでも、主体的に生きるためには、前に進むしかない。

結局、人生は自己責任なのだ。

 

「満たされない」と嘆いている期間から抜け出せず、苦しんでいるのであれば、毎日一ミリでも前進する努力を続けるしかない。

1ミリでも進み続ければ、どこかで見える景色が変わるはずだ。

 

トンネルの先は必ず見えてくる。

そう信じて、進み続けるしかないのだ。