「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「無気力」の正体

f:id:tureture30:20230613084133j:image

 

人が「ニヒリズム」に陥るまでの過程は、実は至ってシンプルなのかもしれない。

自分の手の届く範囲に対して「無力だ」と感じた時、人は「世界を諦める」のだ。

 

その「世界」が小さなものであれば、その時に出す答えは簡単だ。

その「世界」から足を踏み出せばいい。

「転職」という行為もその一つだろう。

 

しかし「世界」が抜けることのできないほど大きなものとなってしまったならば、その人はどうすれ良いのだろうか。

最もわかりやすい答えは「それでも諦めない」ということだ。

 

「世界はどんどん距離を縮めている」

 

誰でも簡単に知識を得ることができ、世界のトップオブトップの生活にも、扮装地帯の生活にも簡単にアクセスできる時代になった。

 

今まで知ることもできなかったことが、他人事ではなく自分事となり、環境問題に力を入れる人は増えた。

何処もかしこも「エコ」「エコ」「エコ」

人々は、自らの時間を「エコ」のために使わないことは悪だという思想に包まれている。

 

反面、人々は個々人が「環境問題」という世界を巻き込む大きな課題と向き合う必要が出てきた。

夕食の献立や、職場の人間関係に対する悩みくらいだったら、個人で解決することもできただろう。

 

しかし、環境問題を個人で解決できる人は、おそらく存在しないはずだ。

それでも、私たちは、それを己の課題として引き受ける時代になった。

 

「無力」を感じた経験が「無気力」に変わる。

 

今の時代を包み込む「なんとなく諦めたような風潮」

若者は日本の将来に期待をしなくなった。

もっと言えば、世界の行く末にも期待をしていないのかもしれない。

 

いつまで地球が持つのかもわからない。

いつ社会が崩壊するのかもわからない。

常に集団への貢献を求められて、その枠から足を外すと袋叩きに遭う。

 

個人で担う「世界」が大きくなり過ぎてしまったのだ。

だから「無力」が「無気力」に変わる。

 

もっと足元の幸せを追い求めるような人生でいいんじゃないかな。

「やらなければならないこと」はやるとして、もっと若者が希望を語り合えるくらいに、人類はバカになっても良いんじゃないだろうか。

 

社会が成熟し過ぎて、無機物が力を持ち出して久しい。

これから先の時代は、AIに人間の権利を譲渡する時代に進むだろう。

そうなったら、人の価値なんて何処にあるのかわからなくなる。

 

自分の心は何を求めているのか。

それを明確にして、それに向かって着実に進んでいる実感があれば、「無気力」に支配されることなんてないんじゃないかな。

 

「多くのもの」を個人で背負い過ぎているのだ。

背負うのは税金の負担だけで充分だ。

 

心はいつまでも自由でありたい。

そう思うのは、私だけだろうか。