「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「自己承認欲求」について

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誰もが自分の存在価値を示すために、誰かに認めてもらいたがる。

ある意味では、その価値が肥大化して「生きる意味」となっているのかもしれない。

 

「生きた証」を残すためには、それを認めてくれる存在が必要だ。

結局のところ、人は人の中でしか生きることができないのかもしれない。

 

人と人とは簡単につながることのできる時代になった。

だけれども、それによって人と人との距離が縮まったのかと言えば、そんなことはないのかもしれない。

 

多くは簡単に切ることのできるつながりで、自分の「生きた証」を証明することのできるつながりなど、そう簡単に作ることのできるものではないのかもしれない。

 

「自分の存在を認めてほしい」

 

そう願うのであればさ。

自分の周りにいる人の存在を認めることが必要だ。

自分が「自分のことを認めてほしい」と思っているのだから、自分以外の人も少なからず同じ感情を持っているはずだ。

 

人と人とのつながりは、共依存的なところがある。

「あの人が自分の存在を認めてくれる」

だから「私もあの人の存在を認める」

 

そうやって、信頼はつながっていくものじゃないのかな。

「相性の良し悪し」も相手とそういう関係を構築できるか否かで決まるのだ。

 

「人は鏡」とよく言われるけれど、それはわかりやすい心理だ。

自分の欲求を満たしてもらいたかったら、自分が相手の欲求を満たすことを求められる。

それ無しに自分の欲求ばかりを満たしていたら、そのうち人は離れていく。

 

「大きな社会」の中で生きていくためには、自分もその「大きな社会」に貢献しないと爪弾きに遭ってしまう。

 

コミュニティとはそういうものなのだ。

人間関係は難しいようで、その構造はシンプルなのかもしれない。

お互いに「自己承認欲求」を満たし合う。

 

私たちはそういう生き物なのだ。