「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「期待しない」ということ

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私はよく人から「優しい」と言われる。

その意味を深く考えてみると、対して褒められたことではないばかりか、人から嫌われる要素の方が強いことに気がつく。

 

私はおそらく、平均的な考え方よりも「人に期待していない」のだろう。

だから、誰かが失敗をしたところであまり腹は立たないし、イレギュラーから多少の不利益を被ったところで「そういうこともある」くらいに捉えている。

 

人生の多くは、自分でコントロール出来ない。

ならば、それを甘んじて受け入れるしかないのだ。

 

ただ、そんな私でも、ものすごくイライラすることがある。

それはゲームをしている時だ。

「0と1の世界」では、確立に基づき一定の成果をあげられることを、私はおそらく期待しているのだろう。

 

だから、確率的にあり得ないことが続くと、それは運営が確率を操作している、などと疑いの目を向けてイライラするのだ。

つまり、私は人よりもアルゴリズムや道理を信用しているということになるだろう。

 

「人は間違うもの」

ミスをすることもあるし、気分によってパフォーマンスが変わる。

それは、私も人がから体感して理解できるものなのだろう。

 

しかし、一度確立されたアルゴリズムは間違うはずはない。

もし、計算通りにことが運ばなければ、それは意図的に操作されているのだ。

おそらくソシャゲの大半は、アルゴリズムになんらかの意図が含まれているのだろう。

 

それが見え隠れすると私はイライラする。

それならば、ゲームなんか辞めてしまえば良いのに、どうも簡単に辞めることはできない。

なんとも不条理なものだ。

 

そう。人の行動は矛盾しているのだ。

私はそれを受け入れているからこそ、それを許容することができる。

そういうことなのだろう。

 

これから先の未来、

全てをアルゴリズムが支配するようになったら、

私はミスに寛容でいられるのだろうか。

 

便利になればなるほどに、それが当たり前になっていく。

そのたびに一つ、人の心を失ってしまうのかな。

そんな気がしてならない。

 

そんなに便利ではなくても良い。

失敗を笑って許せるような社会で良いじゃないか。

そういう社会からどんどん遠ざかっている気がするのは、私だけだろうか。

 

なんだか未来に感じる不安ばかりを記事にしている気がするのは気のせいではないだろう。

私は未来に期待をしているのだろうか。

 

不安を綴るということは、変わってほしいと願っている証拠だ。

なんだかんだで、私は未来に期待しているのだ。

裏切られることがなければ良いのだが。