家を出た途端、
妙にイライラする。
道行く人の一挙手一投足が目に留まり、
心をざわつかせる。
「思い通りにいかない」
そんなもどかしさに起因するのだろうか。
「負の感情が駆け巡る」
何をしていても、
何をされてもイライラする。
「気をつけなければならない」
自分を戒めようとして、
心の中でそうつぶやくけれど、
途端に猛スピードで横切る信号無視の自転車、
怒鳴り散らしたくなるのを我慢する。
イライラする日は、
とことんイライラするのだ。
何もそれは女性の特権ではない。
思い当たる節はない。
「前日見た夢」
記憶には残っていないけれど、
「無意識」がそうさせるのだろうか。
そういう日は、
自分で自分を飼いならす。
私は私の心の動きを、
もっと単純に認識していたけれど、
細かいことにこだわるあまり、
その監視を強めてしまったのかな。
だから些細な変化を敏感に感じ取る。
そうしたところで、
あまり良いことはない。
私は私に「呪い」をかけているのだ。
「努力は報われるはずだ」
「諦めなければ幸せ掴めるはずだ」
「自分にとって世界で一番素敵な人がどこかにいるはずだ」
そうやって、
自分の心が怠けていないか。
チャンスを逃してはいないかって、
自分を、世界を、監視し続けている。
だからイライラする。
鈍感なまま、
無用なストレスを避けて生きたかった。
そう願ったところで、
このイライラを制することはできない。
向き合えば向き合うほどに、
カメラの性能ばかり良くなって、
「幸せ」からは遠ざかる気がする。
行き当たりばったりで、
「おもしろそうな選択」を続けたほうが、
きっと楽しく生きられるのだ。
世間の多くは、
自分勝手に面白おかしく、
人を傷つけたことにも気が付かないで、
平気な顔をして生きているのだから、
「画素数」ばかり無駄に上がってしまった。
気の向くままにカメラを構えて、
スナップ写真を撮るだけで十分だったのに、
鈍感に戻りたい。