「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「忙しい」のか、「忙しい」という思い込みなのか

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私は自ら主体性を持って、自分のやりたいことをやり続けているのだ。

だから忙しいのだ。

 

そういう心持ちで生きていたら、おそらく不満は出てこない。

今の私に生じる「忙しさに対する不満」は、おそらく私が「忙しい」と思い込んでいるからなのだ。

 

実際には、ブログを書く時間はあるし、遊びに行く時間もある。

自らの意思で、休日に予定を詰め込んで、疲れ果てて月曜を迎えているだけなのだ。

 

私は休日の予定を「主体的に」過ごしていないのかもしれない。

ある種の忙しさに酔っているだけなのかもしれない。

疲れていても誘いを断らずに予定を詰め込んでいるのだから、それは私の責任なのだ。

 

しかし、妻は妻で活発なものだから、私の予定が空いているところに、どんどん予定を詰め込んでいく。

こうして私の休日は、休日と言えるのかわからないような形で過ぎていく。

それでも休日は、朝の起床時間が遅い分、少しは睡眠時間を確保できることはありがたい。

 

その点では、この忙しさは私だけの責任ではないのかもしれない。

主体性云々の話をどこまで拡張するのか。

それ次第ということになる。

 

私には積極的な休息が必要なのだ。

これからは「休憩日」という予定を入れておくことにしようか。

今の私にとっては、おそらくどんなに楽しいことであっても、疲労感とともに参加することになる。

それでは、好きで入れた予定だとしても、それを楽しむことはできない。

 

「生き急いでいる」

そんな言葉が良く似合う。

私は、30代を生き急いでいるのかもしれない。

 

体以上に、心が忙しいのだ。

だから疲労感が解消されない。

それも私の人生なのだろうか。

 

君たちはどう生きるか』を見て、

体が動くうちは、忙しさに身を任せる、それで良いと思ったけれども、コンディションが伴わないと、かえって時間の浪費に繋がってしまう。

 

30代のうちに、もう少し大人にならなければならないのかもしれない。