頭がぼーっとする。
とりあえず、やるべきことをこなして生活しているが、それ以外はやる気がしない。
何も考えずにゲームだけはしている。
無課金のソシャゲだ。
私にとってのゲームは、何も考えずにできることなのだと感じる。
私はゲームに対して、何か特別なワクワクを期待しているわけではないのだろう。
プレーをしていて特に高揚感はない。
ただブログと同じように、毎日行うタスクの一つなのかもしれない。
それなりに変化があるものだから、前に進んでいる気にはなることができるし、自分で環境をコントロールしている実感を味わうこともできるのだろう。
「言われたことをそのまま行っているだけ」
今の私にとって、人生の多くはそういう時間に支配されているのかもしれない。
だから、自分の人生をコントロールしていると思える時間が必要なのだ。
私がゲームに求めていることは、そういう時間なのだろう。
劇的な心の動きを期待しているわけではない。
つまらなくてもよい。ただ自分のペースでプレーして、自分でコントロールできていると感じることが大事なのだ。
だから、妻に怒られるくらいに空いた時間はゲームばかりしている。
しかし、このままでよいのだろうか。
ゲームによってコントロールする時間はまやかしに過ぎない。
手軽にコントロール感を味わうことができるからといって、そこに甘んじていれば、結局は何も変わらない。
実生活の中で、コントロール感を味わうことのできるような時間を増やしていかなければならない。
目的のないウォーキングやランニング。
意味のないことを自分の意思で行うことに、コントロール感を味わうためのヒントが隠されている気がする。
生活を整えて時間を創出し、私が自分の時間を自分のために使っているのだと実感できることが求められている。
今はゲームがその役割を担っているけれど、どこかで変わらなければならないのかもしれない。
ゲームばかりしていても、何も変わる気がしないから。