「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

感情の「場面転換」について思うこと

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何か気持ちを引きずられるような課題があると、

その事象に引っ張られて、日常生活まで浸食されてしまう。

 

例えば「仕事」が終わったら「仕事」のことは考えない。

「職場」についたらプライベートの課題はさて置いておく。

そういう「場面転換」の重要性をよく感じる。

 

「思考のループ」に囚われてしまうと、

随分と無駄なリソースを消費してしまうことになる。

 

「嫌な感情」に支配されながら一日を送るようになり、

「嫌な感情」によって色褪せた日常を送ることになる。

 

その時に考えたって仕方にないことは考えない。

然るべき時間が来てから考える。

そうやって割り切れるようになりたい。

 

特に今は生活に変化があるものだから、

どんどん日常が侵食されている気がする。

 

どこかで歯止めをかけて、

うまく「場面転換」をする必要性を感じる。

 

何かスイッチの様なものが必要なのだろうか。

「これをやったら終わり」というような、

そんな転換点が必要なのかもしれない。

 

それも自分でコントロールできるようなことをスイッチにして、

ワンタッチでオンオフを切り替えられるくらいがいい。

 

決まったお菓子を口に入れることや、

特定のポーズをとること、

そういうマネジメントの必要性を感じる。

 

どこかおちゃらけて生きたい。

人生を楽しみたい。

どんなに大変な環境に身を投じたとしても、

私は私らしく人生を楽しみたい。

 

そのためにはまだまだ課題は山積みだ。

 

セルフコントロール

セルフマネジメント、

そうやって自らを管理した先に「極楽」は待ち受けているのだろうか。

 

「解放」と「管理」

そのバランスも大事なのだろう。

そしてそのバランスは常に決まったところで保たれているわけではない。

 

「ちょうど釣り合いの取れる場所」を常に探しながら、

その時々の状況に「楽しみ」や「やりがい」を見出して、

「達成感」や「満足感」といったシャワーを浴びて気持ち良くなる。

その繰り返しの中で「人生」を消費していければいいのかな。

 

いずれにしても、

人類は機械のように自らの心を管理する方向に進んでいるのだろうか。

 

「ここからここまで」

「この先はこの感情」

「5秒深呼吸をすれば怒りは収まる」

 

「社会」という互助的なコミュニティを作り上げた人類、

その代わりに差し出したものはたくさんある。

そのうちの一つが「ありのままの心」なのかもしれない。

 

誰かの顔色を窺ったり、

組織にコミットしながら「居場所」を得る。

その繰り返しに興じる中で、

何か大事なものを見落とすようになってしまったのかもしれない。

 

「場面転換」

 

そうやって折り合いつけて生きていくことも大事だけれども、

それをしなくても自分らしく生きていけるほうが素敵な世の中だと思う。

 

謙虚に誠実でありながらも、

自分らしくありたいと思う。

 

なんだか雑多になってしまった。

感情を整理しないと、