『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズを手掛けた山崎貴監督が満を辞してメガホンを取った意欲作。
後輩から「絶対に見た方が良い」と、あまりにも勧められるものだから、遅ればせながら映画館で見た。
米アカデミー賞で、アジア映画初となる視覚効果賞を受賞。
私が見た直後の一報に驚いた。
庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』は、「日本vsゴジラ」の構図だったのに対して、山崎貴監督は、『人間vsゴジラ』を描きたいと語る。
政府からも見放され、自分の大切な人、大切な街を自らの手で守らなければならないということを突きつけられた人々。
極限まで研ぎ澄まされた、純粋な「人間vsゴジラ」を見事に描き切った作品だ。
結論から述べると、見て良かった。
この映画は映画館で観るべき作品だと思った。
初代ゴジラに対するリスペクトが十分に感じられる、昭和の雰囲気漂う世界観。
安易なハッピーエンドでは終わらない、
「それでも生きていく」と言う強いメッセージの込められた作品だ。
そもそもゴジラというキャラクターは、人間が自然を食い物にして私利私欲を貪ることに対するアンチテーゼとして生まれた。
だから、この作品の中では、人類に希望などないのだ。
悔いて、悔いて、苦しんで、苦しんで、
その先に見えた一筋の希望。
しかし、それすらも簡単にゴジラに踏み躙られる。
この絶望感が初代ゴジラへのリスペクトだ。
洗練された見事な映像。
ゴジラの迫力もさることながら、戦後の東京を忠実に再現し、それを観るも無惨に破壊する様を見せつけられて、そこに希望など生まれようはずがない。
繰り返すが、ゴジラは「人類が私利私欲を貪る愚かさ」に対するアンチテーゼなのだ。
そこに希望など存在しない。
この作品を見ていると、時を重ねるたびに、心が荒んでいく。
これでもか、というくらいに絶望に叩き落とされる。
主人公である神木隆之介くんの演技は見事だ。
途中から感情移入させられる。
彼の痛みを、自らの痛みとして捉えながら、スクリーンを見続けなければならない120分。
それはとても苦しいものだ。
落として、落として、落とした先に待ち受けているカタルシス。
それが、全てを許してくれるのだ。
「生きる」ために、どうしてもしなければならないこと。
今の時代は、そういうものがすっぽりと抜け落ちた時代だ。
自分が自分であるために、やらなければ先の人生を生きることなど到底できない。
昔は、文字通り「命を懸けて」やらなければならないことが無数に存在していたのだろう。
「絶対に生きなければならない」
今の時代は、昔と比べて物理的には生きることが簡単になった時代だ。
「生きること」だけを目的として生きることができない時代と言い換えることができるかもしれない。
生きるために目的が必要なことは、果たして幸せなことなのだろうか。
どんなに先が見えなかったとしても、今、命が続いていることを喜び、その瞬間をいかに楽しく過ごすのかに注力できることは幸せなのかもしれない。
先のことばかり考えて、ほぼ杞憂で終わるような悩みにリソースを奪われながら生きる。
私たちの生活は、果たして幸せだと言えるのだろうか。
「生きて、生きて、生き抜く」
迫力のあるメッセージが心に突き刺さる。
そんな作品だ。