「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

私利私欲

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自分が評価されること以上に「やりがい」を感じられることがあるかどうか。

それが姿勢に現れるのだろう。

 

私は割と「自己責任」だという意識が高い。

だから自分が良くてもダメでも自己責任だし、他人が良くてもダメでも自己責任だと考える。

 

あまり人の仕事ぶりを気にしないし、自分のやり方に必要以上に干渉されたくないと考える。

 

そんな調子だからか、上から良い評価を得ることが少ない。

いや、評価を得ることは少なくないのかもしれないが、部門のリーダーのようなポジションに推されることは少ないということか。

 

与えられた役割は試行錯誤しながらも卒なくこなす、不満はありながらも、誰かがやらなければならない仕事はしっかりとこなす。

そういう点では利便性が高いのかもしれないが、良くても「中の上」くらいの評価なのだろう。

 

もっと私利私欲に走った方が良いのだろうか。

自分が何を求めているのかにもよる。

 

出世したくないという訳ではないが、出世したところで何が変わるのだろうと思っている節もある。

努力がわかりやすい形で表面化するという点では、上から評価されることは嬉しいことだと思う。

 

それ以上に、今よりも忙しくなることに対する不安はある。

私は一度ずつ精神的と肉体的に死にかけたから、自分の体に対する自信があまりない。

誤魔化しながら日々のタスクをこなしているというのが正直なところだ。

 

100点を目指して人生を謳歌したいという気持ちの反面、自分の体に対する不安がある。

だから思いっきりアクセルを踏み出すことができないし、それをするだけの体力がない。

 

そんなところだろうか。

20代の私であれば、経験はチャンスとばかりにガムシャラに突き進んでいたはずだ。

今の私にはそれはできない。

 

それは成長なのか。

それとも退廃なのか。

それは私にもわからない。

 

とにかく目の前の課題と向き合い続ける。

今の私にはそれしかできない。

私は自分の人生を生きているのだろうか。

 

それも私にはわからない。

わからないまま生き続けて終わりを迎える。

多くの人にとって人生とは、そういうものなのだろうか。

 

「何かをやりたい」

そういう強い希望がある人は幸せな人だ。

皆どこかで諦めて、諦めた自分を受け入れる。

その後の人生は次の世代に希望を託す。

そうやって人類は前に進んできたのだろう。

 

そう考えると、人類への貢献こそが私利私欲と言えるのかもしれない。

 

人生は長い。

しかし人類の歴史と比べればほんのわずかなものだ。

 

命の使い方。

歳を取れば取るほどに、切実な課題となって目の前に立ちはだかるのだ。