先日、メンズコンセプトカフェなるもので、
「推し」に対して16歳の女子高生が40万円のシャンパンを注文したことが事件として取り上げられた。
未成年に酒を提供したことで、店の従業員と経営者が逮捕されたようだ。
このニュースを見て感じたこと。
今の若者は「生きがい」を見つけることが難しいのではないだろうか。
本来であれば、学業や部活、友達との関係を生きがいにすることが多かった年齢だが、多様性を認めすぎるあまり、今の若者は、そのような枠にはまった生き方から、アイデンティティを確立できないと考えるのかもしれない。
だから、「推し活」なるものにハマり、そこにアイデンティティを見出そうとのめり込む。
健全な態度で望むのであれば、推し活になんら問題はない。
むしろ、私は人生にそういう「生きがい」となるものは必要だと考えている。(他人に度し難い迷惑をかけない限りは)
「枠にハマった生き方」よりも、「枠にハマらない生き方」のほうがリスクは高い。
しかし、そのリスクを選択することは自己責任なのだ。
理性的に考えるよりも先に、燃え上がるような感情に包まれてしまうと、周りのことを考える余裕がなくなってしまう。
私も若い頃の恋に、そういう感情を経験したからわかる。
その青さを逆手に取り、金稼ぎの道具にする。
そこに一番の問題があるのだろう。
まさに世も末である。
本来であれば、大人たちは、そうした若者のまっすぐな感情を応援するべきではないだろうか。
その先に挫折を知り、それを経験値として積み上げることで、人の痛みや人生の難しさを知る。
それを搾取するような大人が増えてしまったならば、子供たちは何を信用したら良いのかわからなくなる。
そうやって、人を信じる感情は、発育されなくなり、やがて相互不信に満ちた世界が出来上がる。
私利私欲に満ち溢れた大人たちの愚かな様ばかりがニュースに流れている。
多くの大人は真面目に頑張っているはずなのに、こうしたニュースばかりになると、子供達は大人のことを信用しなくなるのではないだろうか。
次の時代を作る子供達にニヒリズムが蔓延してしまったならば、それこそ未来は夢も希望もないものと化してしまう。
「自分たちさえ良ければいい」
「騙されるほうが悪い」
不正のトライアングルのうちの「動機」「正当化」
生活が苦しくなればなるほどに、自分の身を守るため、ということを「正当化」して、生活を豊かにしたいという「動機」により、人は人を騙すことがある。
もしかしたら、世の中が末に向かっていることは、社会全体の課題なのかもしれない。
ともあれ、若者たちに対して過保護になることなく、自らの手で健全な「生きがい」を掴み取ることのできるよう、大人はレール作りをするべきではないだろうか。
おそらく、冒頭の事件は見せしめだ。
メディアのインタビューに証言によると、多くの未成年が同じように「推し」に貢ぐためにメンズコンセプトカフェなるものを利用しているらしい。
どこの店も同じような事をしているのだ。
そして、今度は女子高生のパパ活詐欺なるものまで起きているという。
まさに負の連鎖、自分が半ば詐欺のような目にあい、お金を返すことができないことから、他の人を騙してお金を得る。
全ては自己責任であることに間違いはないけれど、
なんとも世知辛いと感じる。
日本の風土と「一発逆転を狙っての独立」は、相性が良くないのかもしれない。
ことの発端は、メンズコンセプトカフェなるものが儲かるということで世に蔓延ることが原因だ。
20代そこそこの経営者。
彼らからしても、お金を稼ぐことに必死となり理性を失う。
経験の浅いうちから、社会の醜悪さに晒されて、
若くて多感なうちから、人を騙してでもお金を稼ぐことが当たり前だという価値観を植え付けられて、それをうまくやる人を「成功者」と呼ぶ。
価値観が変わってきているのかもしれない。
「自由」を手にすることが、本当に幸せなことなのだろうか。
私にはわからない。