「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

余計なこと

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便宜上、意見を求められるという機会は多い。

特にビジネスの場では、ステークホルダーに対して「確かに確認した」と言質を取るために意見を求めるということがある。

 

意見を求める時点で、選択肢はあらかじめほぼ決まっているのだが、あくまでも便宜上確認をしておく必要があるため、確認するのだ。

そういう時に回答をミスしてしまうと、結構大変なことになる。

 

「沈黙が華」

 

1対1のやり取りではない場合、そういう場面では意見を述べないことが正解となるケースは多い。

そこで余計な意見を述べてしまうと、そこからまた議論が始まり、決まることも決まらなくなる。

 

「こうした方が良いのではないか」

先日、私はその便宜上を見誤り、意見を述べてしまうことがあった。

上の人たちの中では、ほぼほぼ決まっていたことに対して、私が意見を述べたことにより、再調整を検討しなければならなくなったようだ。

 

その時に私は学んだ。

「余計なこと」は言わない方が良い。

 

例え、80点の成果を85点にするための方法を思いついたとしても、すでに80点で調整がついているのであれば、そかから手間をかけて85点にする必要などないのだ。

 

根本的に欠陥がある場合を除いて、そういうケースでは「沈黙」が正解なのだろう。

正直、どこか功名心にせかされるようなところはあった。

私の意見によって、成果が少しだけ良いものになるという自負もあった。

しかし、それは「余計なこと」だったのだ。

 

小さくまとまっていればいい。

そういうことなのかもしれない。

 

「仕事ができる」という言葉の中には、周りとうまく調整できる、という要素が多く含まれている。

時には、その「調整」という仕事が「成果」よりも求められるのだ。

 

波風を立たせずに、それなりのものを手間をかけずに進めていく。

コストパフォーマンスを考えれば当たり前のことだ。

気をつけなければならない。

歳を取れば取るほどに、調整を求められる場面は多くなる。

 

余計なことはしない方が良いのだ。