なんとも煮え切らない。
晴れ間が覗くとおもったら、
突然の大雨に見舞われることもある。
例年のように、毎日雨が降るというのではない。
なんとも煮え切らない中途半端な梅雨だ。
その「中途半端さ」は世相を表しているよう。
こちらを立てればあちらが立たず。
みんな、そうやってバランスをとりながら生きている。
自分の意思よりも調和を優先する。
常に空気を読むことを求められて、
空気を読めない人は「発達障害」とレッテルを貼られて人権を奪われる。
それは子供の世界にまで及んでいる。
言葉にならない微妙なニュアンスを読み取ることを美徳とするが、一方では主体性を求められる。
バランスボールの上で倒立をしなければならないくらいに高度なバランスを取るスキルを求められるのだ。
「やり直し」を許されるうちは良い。
失敗を糧にして次につながることを求められているうちは良い。
しかし、私はそろそろそれを許されない歳になってきた。
その重圧が余計な疲労感を生み出すのだろう。
タスクの難度と比較して、過剰に大きな疲労感を覚えることが増えた。
私には優先すべきことがあるのだ。
それを忘れてはならない。
しかし、その「優先すべきこと」に舵を振り切ることのできない「もどかしさ」がある。
私もバランスボールの上で倒立をしながら生きているのだ。
なんとも中途半端な状態だ。
今の時代は、多くのタスクを同時並行で進めていくスキルを求められる時代なのかもしれない。
専門的な部分はそのうちAIが代替するようになる。
人間に求められるスキルは、AIにインプットできない部分の優先順位を判断して、人間特有の非合理的なルールに乗っ取った運用を進めることなのかもしれない。
なんとも中途半端だ。
だから梅雨まで中途半端なのだ。