ここのところ、あまりにも忙しいものだから、生活にまで乱れが生じてきた。
帰宅後の晩御飯の時間は22時や23時となり、そこから風呂に入ったり寝る準備をすると、それだけで1時近くになる。
そして、翌日は6:30ごろには起きて準備をする。
家にいて起きている時間は3,4時間だ。
ほぼ寝るために帰っているような状況。
自主的ではあるが、テレワークはほぼしなくなった。
私の仕事周りの環境は、かなりバタバタしている。
加えて、休日は新生活と結婚周りで忙しい。
こちらも、まだまだ落ち着く気配は全くない。
電車の中でブログを書いたり、ゲームの日課をこなしたり、移動時間をプライベートに当てている。
趣味が「やらなければならないこと」になってきた。
これまでと同じ水準を維持しようと、なんとかこなしているけれど、私に必要なのは睡眠時間なのかもしれない。
さて、テレワーク。
テレワークをするだけで、1時間ほどは睡眠時間が増えていたのだから、それがなくなることは想像以上に大きい。
少しバランスを考えて、無理なく働かなければならないのだろう。
そして、電車は明らかに混んできており、世間の風潮としても、コロナ前に戻りつつあるのかもしれない。
私は昨年転職をしたものだから、コロナ前の今の環境を知らない。
電車もオフィスも、人でひしめき合って、それだけで単純にストレスとなる。
テレワークを解除した途端に、若手が続々と辞めた、なんて話を聞くけれども、コロナ後に入社をして、いまの働き方しか知らない世代からすれば、この単純なストレスが脅威となることもわかる気がする。
人がテレワークによって得た利便性は、人のことを柔にしてしまったのだろうか。
それとも、ワークライフバランスという観点から、新しい働き方を提案することになったのだろうか。
スタンダードとして受け入れられるのであれば、これからの働き方が変わるだけで済むけれど、中途半端に受け入れられなければ、それによって従業員が企業を評価したり、逆にテレワークの高によって従業員が評価されたりと、少し歪なものとして存在することになる。
「多様性」を認めるためにはコストがかかる。
SDGsにお金をかけることにコストをかけることは当たり前になってきた。
それと同じように、日本の企業は、多様な働き方に対して、どこまで舵を切ることができるのだろうか。
立場のある人ほど、出社率が高い。
それは、暗に出社を推奨していることになる。
もちろん単純に「働きやすさ」の話で、出社した方が仕事が捗るという考え方もあるだろうし、テレワークでも変わらない、という考え方もある。
だけれども、下から見たら、そうは捉えない。
どこか、出社することが愛社精神の強さや仕事に対する貢献度の高さと結びつくような風潮。
それがある限り、多様性を認めるということにはならないのだろう。
その辺りは日本特有なのか。
変わらなければならないのかもしれない。