少し前からテレビを「オールドメディア」と呼び、テレビは自分たちに都合の良い偏った報道をするという風潮がある。
いわゆる「情報操作」
スポンサーがついていて金銭の授受が行われている以上は、間違いなくそういうことがあるのだろう。
しかし、考えてもみてほしい。
方や「ニューメディア」と持て囃されるSNS界隈は、真実のみを発信している正義のメディアだと言えるのだろうか。
答えはNOだ。
むしろ「ニューメディア」の方が裏付けもなく無責任に情報を発信している。
テレビ以上にアクセス数を稼ぐことに躍起となり、情報の洪水の中に情報を投下し続けることが常となっている。
YouTuberの知り合いに話を聞いたことがある。
彼はそれだけで生活できるほど稼いでいた。
彼によると、とにかく高頻度で投稿を続けなければアクセス数を稼ぐことができないので、クオリティよりも投稿数が大事とのこと。
それで生活をしていることに対するプレッシャーは常にあり、常にロケで全国を飛び回っているくらい自由がないとのことだった。
そんな過酷な状況で発信される情報に確かな裏付けを取る余裕などない。
チャンネルは順調に成長していたようだが、その生活に耐えきれなくなって、今ではチャンネルは人に任せて自分は勤め人に戻ったと聞いている。
要は「オールドメディア」だけでなく「ニューメディア」も無責任で不確かな情報を垂れ流していることに変わりはないのだ。
情報過多の中で、どの情報を取り入れるのかは全て自己責任。
今はそんな世知辛い世の中だ。
お金を稼ぐ手段が無数に広がっている。
だからこそあの手この手で人を食い物にしようとする輩がネット上に蔓延っている。
富の二極化は益々進んでいく。
食うものと食われるもの。
人が人のことを道具のように取り扱って、そのことになんの感情も抱かなくなったならば、もはやその人は「人間」ではない。
野生で自分の都合しか考えずに他者を食い散らかす獣と同じだ。
富や名声を得ると人はおかしくなっていく。
そういう人を何度も目の当たりにしてきた。
「たまたま幸運に恵まれただけ」
どこかの億万長者が著書でそんな言葉を残していたのを目にした記憶がある。
どんなに富や名声を手に入れても、それに侵されずに真っ当な道を歩み続けている人は稀なのかもしれない。
それならば、富や名声なんてものは豊かな人生にとって不要なものなのかもしれない。
人生が終わりを迎える時、自分で自分のことを裁く時がやってくる。
その時に自分の生き方に誇りを持てるのか否か。
それで人生は決まるんじゃないのかな。
人に嫌われて、最後は周りに誰もいなくなって、一人寂しくこの世に別れを告げる。
そんな人生は侘しいと思うのは、私だけだろうか。