「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

ボーナスの使いみち

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ありがたいことに昨年よりも賞与が増えた。


悩むのは使いみち、

貯金ばかりしていても始まらない。


今年の春先からずっと思っていた。


「ハワイに行きたい」


シーズンではないときに、

一週間くらい休みをとって行きたいな。


ずっとそう思っていた。


どこか遠くに行きたいのだ。

日常を離れてどこか遠くに、


それに新しいPCもほしい。

今はブログは完全にスマホだけれども、

おそらくPCで書くことになれば充実するだろう。


息が詰まってしまう。

ストレスの原因はわかっているのだけれど、


それって現実逃避なのかな。


少しばかりストレス対象から距離をおけば、

きっと見える景色も変わってくる。


それは経験からも言えること、


ストレスが強い。

憎しみばかり深まって、

自分のことを嫌いになって、

負の循環、


わたしはカモメ、

どこへでも行ける。

だけれども翼に怪我を負っている。


わたしはカモメ、

どこへでも行ける。

だけれども足かせをはめられている。


わたしはカモメ、

どこへでも行けるようで、

どこにもいけない。


チェーホフ『かもめ』


どこもかしこも恋ばかり、

誰もが自分を見失って報われない道を突き進んでいく。

まるで大いなる何かに導かれるように、


人生も道を選んでいるようで、

あらすじが決まっているのだ。


「ボーナスの使いみち」


翼がほしいな。

何ものにも囚われずに自由に羽ばたける翼が、


さて、レッドブルでも箱買いするか。

 

「婚活」って、欠陥を抱えた者同士の傷の舐め合いなのかな

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「婚活」って、

そういうものなのかもしれない。


それだと語弊があるか。

私のしている「アプリでの婚活」(以下、婚活)は、

そういうものかもしれない。


結婚に向いていない理由があるから相手がいない。

だから「そろそろまずいな」って思って婚活を始める。


男女ともにきっかけはそんな感じだろう。


「結婚に向いていない理由」

もちろん人間性だけの問題ではない。


一人が好きだったり、

収入や容姿だったり、

理想が高かったり、


女性の場合は、

失恋の傷を負ったばかりに、

勢いで始めるケースを見かける。


そういう人は、

「最近長年付き合った恋人と別れました」

だなんてわざわざプロフに書いている。


そんなことをしたって、

まともに婚活をしようとしている側からすれば、

マイナスでしかないのだからよせばいいのにね。


きっと傷を癒やすことが目的だから、

感情を抑えられないのだ。


「婚活」ってやはり傷の舐め合いなのかな。


傷ついた自尊感情を癒やすため、

自分の価値を確かめるため、

そのために市場に繰り出してみる。


少しうまく写真を撮れば、

数字はどんどん上がっていく。


「私って捨てたものじゃないのね」


そうやって知らない誰かに傷を舐めてもらう。


男だってそう。


そこそこのスペックがあれば数字は伸びていく。

マッチした女性の顔写真を眺めては、


「俺だってまだ捨てたものじゃないのか」


そうやって自尊感情を回復する。


そういうところから始めたところで、

結婚につながるケースなんてほとんどない。


「生身で接するうちに徐々に気持ちが盛り上がる」


そういう過程をすっ飛ばして、

スタートから条件で選んで選ばれるから、

気持ちの釣り合いが取れないのだ。


自尊感情の傷ついた人の集まりだから、

普段コミュニティで接する異性たちのほうが、

よほど魅力的なケースも少なくない。

(そういう人には大体相手がいるのだけれども)


「妥協するかしないか」


大抵はそこから始まる。

そういう事ばかりを考えているうちに疲れてしまう。

そうやって自然と連絡は途切れる。


男は馬鹿だから、

容姿と社交辞令だけで気持ちが盛り上がることもある。


だけれども女性は合理的だから、

よほど自分に自信がない場合を除いて、

本気で相手を求めている人なんてほんの一握り、


「前に進んでいる気になる」


実際に結婚することよりも、

きっとそれが大事なのだろう。


たとえ一方が覚悟を決めて、

本気の相手からアプローチを受けたところで、

本気で受け止めることなどできない。


それが出来るならばとっくに結婚しているはず、

それが出来ない人の集まりなのだ。


結局は自分が変わらないと何も進まない。


いくら出会いを重ねても、

「婚活」をしていることに満足するだけで、

本来の目的からは遠ざかるばかり、


自分の中にある、

「結婚に向いていない理由」


結局はそれと向き合うしかないのだな。


どう考えても私は婚活どころか、

結婚にも向いていない。

 

さて、どうしたものか。

世界はどんどん二極化していく

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少し前に流行ったトマ・ピケティ、

「労働賃金の成長率よりも投資で生まれる利益のそれが大きい」


経済は成長する。

だから資産を持つ人にお金が集まり続ける。

一方で資産を持たない人は相対的に貧困に向かい続ける。

格差は広がる一方だ。


そういう主張、


そもそもルールを決める側は決まって、

決められる側と比較して富裕層だ。

だからそうなることはある意味では当たり前、

本来はそうならないために政治があるはずだが、


それだけではない。


貧富の格差もそうだけれども、

人の価値観だって二極化が進んでいる。


「情報の取捨選択」


簡単に情報が手に入る時代だから、

どのような情報にアクセスするも個人の自由、


善悪の判断基準はともかくとして、

「善く生きたい」と志している人は、

自然と善い価値観に触れる機会が増える。


逆もまた然り、


個人に自由が与えられれば与えられるほどに、

どんどん二極化が進むのだ。


だけれどもそれは悪いことばかりではない。

そこから新たな発想が生まれることもある。


「多様性を認められないこと」


そこに病理がある。

 

偏った価値観に縛られてしまうと、

人に危害を加えるような人は確かにいるけれど、

それはきっとほんの一部の話、


多くの「変わっている人」は無害のはず、

だけれどもセンセーショナルな事件ばかりが目立つから、

「普通じゃないと怖い」とそうなる。


個性を伸ばすような教育が先行して、

異文化で育った外国人が増えて、

これから先は「普通」というものが今よりも曖昧になるだろう。


そういう中で自分も個性的に輝くこと、

誰に遠慮するでもなく生きたいように生きること、


その先で道の交差した誰かと、

一緒になることができればこれほど素敵なことはない。


「相手」の価値観を理解しようと務めること、

そして「自分」を蔑ろにしないこと、

それさえ忘れなければいい。


生き方って色々あるのだから、

 

振り回されたい願望

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自分で言うのもなんだが、

私は割と何でも卒なくこなす。


大の苦手である恋愛を除いて、


だから女性と過ごしていても、

何かをしてくれる前に先回りをして、

自分から動くことが多い。


それを魅力と感じる人もいれば、

そこに居心地の悪さを感じる人もいるのだろう。


ところがたまに、

躊躇なく突っ込んでくる人がいる。

ニコッとしながらアクセル全開で突っ込んできて、

NHK…ではなくて私のプランをぶっ壊す。


そういうワガママ女、


「めんどくさい」と思いながらも、

嫌いじゃないのかもしれない。


「自分を持っている」


そういうところに魅力を感じるのかな。


「こうでなければならない」


男女問わずだけれども、

そういう人とは過ごしていると面白みがない。


『ハンターxハンター』


ジン=フリークスの一言、

「道中を楽しみたい。ただそれだけだ。」


少しばかり年をとって、

その感覚が少しわかるようになった。


どこぞのホストみたいに刺されたりしたら嫌だけれども、

プランぶち壊しで突っ込んでこられたら、

返って小気味が良いのかもしれない。


ビジネスではそういうのはゴメンだが、


「人生の大半は暇つぶし」


そういうCMがあったけれど、

停滞した私の人生に、

課題を提供してもらいたいのかな。


前には進んでいるのだけれど、

前に進んでいる実感がない。


だから振り回されたいのかもしれない。


振り回されて振り回されて、

結局はうまくいかない。


そういう繰り返しが続いたけれど、

それでもまだ振り回されたいのだ。

 

カタチだけのありがとう

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「ありがとう」


自然と口をつくようにその言葉が出るようになった。


だけれども自然になればなるほどに、

その言葉に気持ちがこもらなくなる。


本当に感謝しているのかな。

カタチだけじゃないのかな。

言葉を自分を飾るための道具にしていないかな。


どう振る舞えばうまく関係を築けるか。


経験を積めば積むほどに、

そういうことばかりうまくなって、

その作業が当たり前のようになっていくけれど、

気持ちがこもっていなければ、

それはただのテクニック、


「ありがとう」

「本当にありがとう」


今まで蔑ろにしていたくせに、

急に媚びるように態度を変える人、

そういう人が周りにいるならば気をつけたほうが良い。

きっと何かしらの意図があるはずだから、


カタチだけの言葉に騙されてはいけない。


いくら良い人に見えたって、

良い言葉を使っていたって、

心のうちまではわからない。


「人を道具のように見てしまう」


そういうことって生きていればどこかで必ずあるけれど、

それに葛藤しながら生きていない人は、

詰まるところ自分かわいさに平気で人を切り捨てる。


自分の立場のため、

自分の環境のため、

自分の将来のため、

結局は人を利用しているのだ。


心のこもった言葉、


それはもしかしたら聞きたくないような、

言われたくないような、

きつい言葉かもしれない。


だけれども、

そこに心がこもっているかどうか、

それを見定められるようにはなりたいな。


人は自分に都合のいいことを聞き、

都合の良い人と付き合い、

都合のいいことばかりをかき集める。


そうやって自分の存在意義を肯定する。

存在意義を失うくらいなら悪魔にだって魂を売るのだ。


ゲーテファウスト

「時よ止まれ 汝は美しい」


最後の最後にそう思える人生って、

一生のうちに自分の存在意義を打ち立てた先にあるのかな。


何のために生まれて

何をして生きるのか、

答えられないなんてそんなのは嫌だ。


心から笑って、

心から悲しんで、

心の底から出た言葉を紡いで、

今を生きる。


誰かから与えてもらうものではない。

その中で自分の存在意義って見出だせるものなのかな。

 

いい意味で期待を裏切るということ

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「期待していたのに」

 


期待が大きいほど、

それを裏切られたときに期待は失望に変わる。

 


「それほど期待していなかったのに」

 


その中で期待に応えられれば、

そこから信頼が生まれる。

 


「いい意味で期待を裏切る」

 


人間は単純なものだから、

心動かされることに弱いのだ。

 


だからやるべきことをしっかりとやり続ければいい。

誰が見ていようがいまいが力は着々とついているはず、

 


あとはチャンスが巡ってきても、

いつもと同じように取り組むだけ、

 


一発当ててうまくいったように見えても、

きっと信頼される人ってその繰り返し、

 


よほどの天才でもない限り、

コツコツと地道な努力を重ねるしかないのだ。

 


だけれども気をつけなければいけない。

 


信頼が積み重なってくると、

「あの人ならば大丈夫」って、

期待が大きくなるのだ。

 


そうすると必要以上に圧力がかかる。

そしてどこかに驕りが生じる。

 


おそらくそこからが本当の勝負、

それでもコツコツと地道な努力を重ねられる人、

 


そういう人がきっと何かを成し遂げるのだ。

 


「ここまでしてくれるのか」

 


利害ではない。

瞬時に細胞が判断して、

まごころある行動を起こせるようになりたい。

 


そういうところに信頼が生まれるはず、

 

一年で一番空っぽな時期

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今年も残すところ20日となった。


6月24日から7月24日まで、

その1ヶ月間だけは報われそうな恋をしていたものだから、

幸せな期間だった。


だけれども、

それ以外はずっと苦しんだ。

苦しんで苦しんで苦しみ抜いたな。


それも少し落ち着いて、

今はなんだか空っぽな期間、


体だけは忙しい。

次から次へと予定は埋まっていく。


割といいことが続く12月なのに、

何をしていても作業のようにこなすだけで、

何をしようとしても気力はあまり湧かない。


「カタチだけ」


そうやって生きている。


苦しい期間はいつまで続くのだろうな。

もう苦しむことにも疲れてしまった。


これまで築き上げてきた価値観から、

自分を作り変えるってとても大変なこと、


ドラマ『同期のサクラ』

「私には夢があります。ふるさとの島に橋をかけることです。」


まっすぐに不器用に生きてきた人ほど、

生き方を変えることは難しい。

そのためには空っぽな期間が必要なのかもしれない。


「許せない」


私の苦しみの原因はおそらくそこにある。

わかってはいるけれども許せないものは許せない。


早く私の目の前から消えてくれないかな。

そんな事ばかり考えている。


そのたびに醜くなって、

自分を嫌いになって、

自分で自分を傷つけて、


相手を責め続けていれば、

自己嫌悪に陥らなくて済む。

そうやってかろうじて自分を保っているのだ。


空っぽの期間を経て、

気がついたら笑って許しているような、

そんな自分に変わっていないかな。

 

そんな都合のいいことはない。

自分で何かを変えないといけないのだ。