オフラインの民度はどんどん上がっている。
誰もが互いを尊重しあう時代。
少しでも否定的な意見を言うことの憚られる世の中だ。
今の20代を見ていると、
みんな「いい子」なのだ。
聞き分けのいい子。
人当たりのいい子。
どうでもいい子。
人間関係を円滑に進めることが対人の目的で、あまり深入りはしない。
個人的なことを会社で話すことを嫌う人が多く、外向きのペルソナをしっかりと確立できている印象だ。
「ハーモニー」
若いうちからそれぞれがしっかりとしたペルソナを被ることができていれば、それはまさにユートピア。
自分の意見を否定される機会が少なく、恵まれた環境を当たり前のように享受している。
もっと上の世代からすれば、30代末期の私も恵まれた環境で育ってきたと言われるのだろう。
時代はどんどん洗練されていく。
それに従い、人間もどんどん洗練されていくのだろう(少なくとも表向きは)。
本音を晒すことがリスクになる時代だからこそ、本音の価値が上がる。
物質的な豊かさを当たり前のように享受できるようになったから、「モノ」よりも「経験」にお金をかけるようになり、より多くの経験を手に入れるために、若いうちから立派なペルソナを被るようになる。
何が書きたかったのかわからなくなってきたな。
そうだ。
「若手の発言が恐れを知らない」ということか。
私と一回り以上違う世代と関わることが多くなった。
それぞれ優秀で、私が同じ頃とは比べ物にならないくらいに多くの知識を蓄えている。
学生の頃からたくさんの経験を積んできたのだろう。
そして、これまでの生き方に自信を持っている。
つまり優秀。
成功体験の塊なのだろう。
そういう世代と触れている中で感じる違和感。
上司にあたる世代に対して遠慮がないのだ。
上司は上司で、部下に対しては過度に気を使うような風潮がある。
そうすると、失礼な物言いに対しても黙殺することが当たり前となる。
ペルソナが立派だから、変にケチをつけるとケチをつけた側が悪者になるのだ。
それがまた「経験」になる。
「これでいいのだ」という知識として蓄積されていく。
そうやって、自尊心の膨れ上がった若者たちが中心となって社会を動かす時代はどうなるのだろうか?
興味があると同時に不安になる。
「パーソナリティの肥大化した時代」
国も人も表向きは互いを尊重しているように見えて、その本質は個人主義。
そういう時代に進んでいるのだろう。
本質的な意味で、人とのつながりが希薄になっている。
この流れが加速すると、他人のことを自尊心を満たすための道具として見るようにはならないだろうか。
将来的に国を動かす人がそういう考えになると、
予兆なく、国のメンツを守るためだとかいう理由で戦争が始まったりしないだろうか。
人間的な繋がりが争いを回避しているケースは少なくない。
その抑止力が取り払われた時に、人類は試されるのかもしれない。