「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

同じような人種に好感を持つこともある

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10個も年下の女の子、


気がつくと裏方で頑張っていたり、

誰も見ていないところでも着々と物事を進めていたり、

誰かがやらないといけないことを淡々とこなして、

あたかもそれを当たり前のようにしている。


誰にアピールするわけでもない。

「ちゃんとしていたい」のだろう。

きっと手持ち無沙汰なのが苦手なのだ。


何か仕事をしていたい。

生産性のあることをしていたい。

少しでも経験を積みたい。


その感じはとてもわかる。

 

「あー、同じ人種だな」

そう思った。

 

「いつもありがとう」的なことを言われるけれど、

飲み会は参加者よりも幹事をしている方が楽、

やるべきことがたくさんあるから、

 

私はいつも割と好きでやっているのだ。

なんだかそんな感覚、


私が同じ歳の頃には、

もっと功名心を覗かせていた気がする。

それを全く覗かせない姿に感心した。


・何か仕事をしていないと自分を無価値に思えてしまう。

・些細なことでも経験を積みたい。

・自分の行動を無駄なく制御したい。

・自分の周りをなるべくコントロールできる状況にしておきたい。


私の動機を言語化するならば、

おそらくそんなところだろうか。


彼女はどうなのかわからないけれど、

そう遠からずのはずだ。

 

「同じ人種だな」

 

繰り返すけれど、

やっぱりそう思った。

 

功名心はゼロではないだろう。

 

だけれどもそれは副産物で、

それよりも「ちゃんとしていたい」のだ。

 

この感じの伝わる人はいるかな?

 

「頑張っている自分が好き」よりは、

「頑張っていないと自分を認めてあげられない」

に近いのかな。

 

動機はともかくとして、

そういう淡々とやるべきことをする姿って、

見ていて気持ちのいいものだし、

素直に感心する。


私も周りから、

少しはこんな目で見られているのかな。

そう思うと悪くはない。


「同族嫌悪」って経験はあるけれど、

その逆もあるのだな。


なんだか少しだけ自分のことを、

認めてあげられたような気がした。

 

自分の外にある「美しい世界」を見つけたほうがいい

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人は理想を描いて、

その理想を叶えようと奮闘する。


誰しもそういう時期はあったはず、


そんな「美しい世界」


飛び抜けた天賦の才や、

恵まれた環境に後押しされて、

その世界から一歩も出なくても生きていける。


もしかしたらこの世には、

そういう人種もいるのかもしれない。


だけれども99.9999%の人間は、

その世界だけでは生きてはいけない。


「キレイごと」では済まないのだ。

どこかで理想と折り合いをつける必要に迫られる。


下手にその時期が遅れるほど、

その世界から抜け出すために苦労を要する。


最後まで抜け出すことができずに、

行き場を失ってしまうこともあるのかもしれない。


自分の可能性を信じ切って、

周りも「頑張れ」って応援してくれて、


「恵まれた環境」


でも、それって本当に恵まれているのかな。


地に足ついた目標を勧めてくれる人達に囲まれたほうが、

恵まれているんじゃないかな。


「閉じこもっていないで出てきなよ。

死ぬまでそこにいるつもりなの?」


「美しい世界」に閉じこもっているけれども、

両耳はいつもその言葉を待っている。


働かなくたって、

衣食住には困らない。


それもまた「美しい世界」なのかな。


下手に人の夢を応援してさ。

応援している側はそれで自尊感情を満たすことができる。

結局は自尊感情の満たし合いなのだ。


自分を気持ちよくさせてあげること、

人は精神的自慰行為なしでは生きていけない。


だから閉じこもっていないで、

さっさと人を応援する側に回りなよ。


「自分にはできなかったから応援したい」ってさ。


そんな共感を口にして、

自尊感情をドバドバ満たしてあげればいい。


自分の外にも「美しい世界」を見つけること、


「美しい世界」に閉じこもるよりも、

そっちのほうがずっとコスパがいい。

 

脳を矯正しないといけない

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最近取り組んでいること、

その日の良かったことを無理矢理にでも3つ思い出して、

日記に追記する。


「悪いことばかり」


そういう気持ちに苛まれているものだから、

3つ挙げるだけでも一苦労だ。


なんとか引きずり出して3つ挙げる。

本当にどうでもいいことばかり、

悪いことは挙げればキリがないのに、


そもそも私にとっての「良いこと」ってなんだろう。

ふと考えてみるとあまり思い浮かばない。


世間的に見れば「良いこと」

ここ最近は割とそういう事があったけれど、

それほど喜びは湧き上がってこない。


「救われたい」


そういう思いは強い。

だけれども所詮はないものねだりなのだ。


「許せなければ救われない」


不誠実さを許す先にしか、

私の幸せはないのかな。


憎しみを手放せない。

人の不幸の上に築き上げた幸せを見せつけられて、

毎日いらいらを抑えることに無駄な労力を使いすぎて、


二度と関わることがなければ、

いくらかは救われるのだろうけれど、

簡単にそうできる関係ではない。


だから自分で自分を矯正するしかないな。

「思い込み」だとしても救われるならばそれでいい。


もう一度、

心から好きだと思える人に出会いたい。

そしてしっかりと結ばれたい。


泥水の溜まった私の心に、

きれいな真水を注いでくれるような、

そんな出会い、


心はきれいに洗い流されていく。

そんな淡い期待にすがるしかないのかな。


「期待は裏切られる」


今まで散々そうなった。


いくらポジティブを重ねても、

私は根っからのネガティブなものだから、

簡単には矯正されないようだ。


辛い経験ばかりを積み重ねると、

悪い方向にしか感情が振れなくなる。


私の脳を矯正するためには、

どれだけの時が必要なのだろう。

この部屋から抜け出す鍵はどこに転がっているのか。


「生きる」って、

どうしてこんなにも辛いのだろう。

 

Laugh Tale(ラフテル)

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「辛いことの総量はみんな同じ、

だから苦しんだ人ほどあとになって幸せが来るはず」


そんな慰めよりも、

「これまでの業によって今の自分がある」

そっちのほうがよほど納得できる。


都合の良い解釈に頼って、

それを慰めにしたところで惨めになるだけ、


村上春樹ノルウェイの森

「自分に同情するなんて卑劣なやつのすることだ」


「よくやった。よくやった。本当によくやった」

人に声をかけるならばいい。


だけれども現状に満足もしていないのに、

自分に言い聞かせるように、

自分で自分を慰める。


精神的自慰行為ってやつだ。


「それって妥協なんじゃないの?」


そう問いかけられたならば、

間髪入れずに「YES」と答える自信がある。


「生きるって苦しい」


20代までは大して苦労なんてしていなかった気がする。


信じるものがあって、

それを抱えながらがむしゃらにただ真っすぐに生きてきた。

だけれどもそれを失ってしまった。


どうにもならない現実に直面して、

なんとかその分厚い岩盤を突き破ったけれど、

見える景色は変わってしまった。


「人生はキレイごとじゃない」


命に宿る無限の可能性を信じ切って、

一生を終える人ってこの世にどれだけいるのかな。


子供の頃は誰しも信じることができる。

それが子供の特権であり子供らしさ、

いわば聖域だから奪ってはならないもの、


しかし徐々に、

苦しい思いをして、

世界は広がっていって、

「幼稚な全能感」

そういうものは消滅する。


そのさきの人生のほうがうんと長い。

そしてそのさきの苦しみのほうがずっと多い。


レジリエンス


折れない心よりも、

しなやかな心、


私の場合は30を過ぎてから、

一気に苦しみが押し寄せてきた。

これから先も苦しいことばかりだと思う。


だけれども生きるのだ。


その苦しみをしなやかに受け止めて、

耐えて、耐えて、最後は反動で押し返す。

それくらいにはタフじゃないといけないな。


ONE PIECE

「失ったものばかりを数えるな。

お前さんに残されたものは何だ」


私には何が残っているのかな。


これまで積み重ねてきた「経験」かな。

それとも築き上げてきた「理想」かな。


「仲間がいるよ」


確かに仲間はいる。


だけれどもこればっかしは、

自分で掴み取らないといけないのだ。


「生きる目的」


生きるって苦しいことばかり、

それに耐えることが生きる目的なのかな。


そんなはずはないな。

その先にあるものに目を向けないと、


靄がかってかすかに見える、

その先にあるものを確かにするために、

我々は生きているのだ。


その先に見えるものはなんだい?


「Laugh Tale(ラフテル)」


ONE PIECE』における旅の終着点、

その由来が明らかになった。


「生きる目的」なんて、

あってないようなものだ。


最後にバカみたいに笑えればいい。


一人残らずバカみたいに大口を開けて、

心の底から笑い合えればいい。


人生なんて笑い話、

それくらい気楽に生きたいものだ。

 

精神的な自殺なんじゃないのかな

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「本当にすげーなって思う人たち」


私にはそういう尊敬する先輩がたくさんいる。

その人たちに共通することがある。


「自分の言葉で話している」


どこからか借りてきたような言葉を並べた原稿ではない。

自分の言葉で話しているということ、


私は言葉の力を信じている。

そして言葉に宿る「覚悟」を見逃したくないと思っている。


「上辺だけの覚悟」


そういうものはいくらでもある。


劇場型の人間というのは、

そういうものを発信する自分に酔っているのだ。

そしてそれを自分の「価値」にすり替える。


「人からよく見られたい」


そういうことを目的としているうちは、

「個」から脱却できていないということ、

「自分」という枠からはみ出ることなく、

小さな器で終わってしまう。


真の「人間性」というのは、

見栄やプライドを乗り越えた先にある。


「個」から「全」への昇華、

古今東西、まともな宗教で世界の平和を願わないものはない。

たとえそれが名目だとしても、


多くの人は自分のことで精一杯だから、

家族や友人、だいたいそこまで、

それよりも外まではなかなか目が向かない。

 

だけれども、

精神的な意味で目指すべきものって、

「自分を含めた世界」にあるのかもしれない。


簡単なことではないけれど、

それを目指すか目指さないかで人生は大きく変わる。


「人からよく見られたい」


私はまだまだそういう功名心に縛られている。


常識的な範囲では必要かもしれないけれど、

本当に魅力的な人ってそういうことにこだわらないんじゃないかな。

だけれども人が自然と集まってくる。


そういうもの、


「自分を見失う」とはよく言ったものだ。


人の目ばかりを気にしているうちに、

「自分の言葉」を殺してしまう。

自分で自分の個性を殺してしまう。


それって精神的な自殺なんじゃないのかな。


ドラマ『同期のサクラ』


「どんなにつらい思いをしていても、

自分の言葉で話せないことのほうがもっと辛い」


自分らしく生きよう。

必要以上に人の目など気にすることなく、


なんだかそう思った。

 

結婚できない病

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異性に幻想を抱いているうちに結婚した方がいい。

どんどん踏み出せなくなるから、


恋愛で傷つくほどに、

異性を敵視するようになる。


「どうせ」だとか、

「やっぱり」だとか、


そのうちに、

うまく行かないことに安心するようになる。

色々なものを捨てて、

一緒になる覚悟をしなくて済むから、


婚活を続けるほどに、

自尊感情を傷つけられている人ばかりを見かける。

もちろん私も含めてだけれども、


若ければそれほどでもないのかもしれない。


だけれどもいい歳をして婚活している人は、

それなりに傷を抱えて生きている。


だから異性にあまり期待をしていない。

どこか癒えない傷を隠すように見える。


「充実した生活」

そういうものを隠れ蓑にして、


「1人でも大丈夫なんだけどね」

まるでそう主張しているみたい。


先のことを考えて、

動かなければいけないから、

とりあえず動くのだ。


「婚活」って、

きっとそういうもの、


だから傷が浅いうちに、

まだ自尊感情が高いうちに、

大して後先も考えずに一緒になった方がいい。


考えれば考えるほどにこじらせて、

遅れれば遅れるほどに妥協出来なくなって、

「異性」という違う生き物を受け入れられなくなる。


1人でいる時間が長いほど、

抗体ができてしまうのだ。

だから異性に対してアレルギーが生じる。

花粉症と同じ原理、


「結婚できない病」


そのうちそういう病にかかる。


現実には存在しないような理想像を打ち立てて、

少しでも納得できなければ切り捨てる。


出会いを重ねているのに、

うまく行かなくなると、

どこかでホッと胸を撫で下ろす。


そんな理想にドンピシャの人など、

出会えるわけがないのだから、


処方薬は2つだけ、

「理想像を見直すこと」

「燃えるような恋の病にかかること」


妥協するか。

盲目になるか。


ナウシカのような女性が目の前に現れて、

私と恋に落ちることなどない。


それならば、

理想とは違う相手でも、

燃えるような恋に落ちてみたいものだ。


頭で考え過ぎるからいけない。

去年はそういう相手に出会えたのだ。


インフルエンザはゴメンだけれども、

「結婚できない病」でいるくらいならば、

「恋の病」にかかりたいものだ。


ある人が言っていた。


「結婚できない人生よりは、

結婚してうまく行かなかった人生の方がいい。

だから結婚することに決めた」


私もそう思う。

結婚をしてみた方がいい。

たとえうまくいかなかったとしても、


さて、

恋の病のウイルスは、

どこに蔓延しているのだろう。

 

周りは結婚ラッシュ、

ここも、あそこも、まさかのあの人まで、


私の周りにも、

感染者はたくさんいるようだけれども、

どういうことか私は感染しないようだ。


困ったことだ。

「恋の病」にまで抗体ができているのかもしれないな。

 

恋は雨上がりのように

原作を少し読んで気になっていたので映画を見た。

 

あんなに真っ直ぐに、

人を好きになることって、

これから先にあるのかな。

 

あんなに真っ直ぐに、

「好き」を伝えてくれる人って、

この世にいるのかな。

 

高校生の恋、

今更ながらそういうものに憧れる。

 

 

50円玉と100円玉

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キャッシュレスにお熱なものだから、

現金で支払う機会が減った。

そうなると現金で払わざるを得ない時に横着するようになる。


前はできるだけお釣りが少なくなるように支払っていたけれど、

それすら煩わしくなるのだ。


だから気がつくと財布は小銭だらけ、


「私も衰えたものだ」


重い財布を片手に、

引退を決意するアスリートのように、

なんだかそう思った。


この財布ではときめかない。

気持ちよくお金を払えるようにしないと、


「財布の乱れは心の乱れ」

誰かが行っていた気がする。

(こんまりさんじゃないのは確か)


「これはいかんな」と思って、

しばらく細かい支払いの時はキャッシュレスを封印、


なるべくお釣りを少なくする支払いを再開、

小銭をジャラジャラ探すことの煩わしさを改めて痛感する。


特にあいつとあいつだ


「50円玉と100円玉」


お前らは正面から見ないと瓜二つなんだよ!!


もなかの腹違いの兄弟が八つ橋らしいけれど、

お前らの関係は何やねん!!


カッコつけて長財布にしたくせに、

なるべく薄いやつがいいからって、

マチ(折り目がついていて膨らむところ)のないタイプを使っている。


キャッシュレスだし丁度いいかと思っていたけれど、

こういうときに困る。


「50円玉と100円玉」


大きさは少し違うけれど、

側面のギザギザだけでは判断しづらい。

100円玉だと思って出した50円玉のせいで会計が滞る。

結局足りなくて、

1000円札を出すようになる。

もうキャッシュレスでいいじゃん。


結局はそうなる。


放っておいた小銭貯金箱の使い道ができたな。


壊さないと中身が確認できないタイプのやつ、

随分前からあるけれどいくら溜まっているのかもわからない。


改めて思った。

便利って怖い。

どんどん衰える。


当たり前にしていたことがめんどくさくなる。

人は「便利」を手に入れると「不便」には戻れないのだな。

それって進化なのか退化なのかわからない。


「キャッシュレス」


どんどん進めたほうがいいと思うよ。

そのほうが世のため、店員さんのため、消費者のためだ。


世界はどんどん便利になっている。


それを感じさせるために、

未来を見越して50円玉と100円玉を似せて作ったのだとしたら、

日本も捨てたものではないのかもしれない。


そんなわけはないのだけれども、