キャッシュレスにお熱なものだから、
現金で支払う機会が減った。
そうなると現金で払わざるを得ない時に横着するようになる。
前はできるだけお釣りが少なくなるように支払っていたけれど、
それすら煩わしくなるのだ。
だから気がつくと財布は小銭だらけ、
「私も衰えたものだ」
重い財布を片手に、
引退を決意するアスリートのように、
なんだかそう思った。
この財布ではときめかない。
気持ちよくお金を払えるようにしないと、
「財布の乱れは心の乱れ」
誰かが行っていた気がする。
(こんまりさんじゃないのは確か)
「これはいかんな」と思って、
しばらく細かい支払いの時はキャッシュレスを封印、
なるべくお釣りを少なくする支払いを再開、
小銭をジャラジャラ探すことの煩わしさを改めて痛感する。
特にあいつとあいつだ。
「50円玉と100円玉」
お前らは正面から見ないと瓜二つなんだよ!!
もなかの腹違いの兄弟が八つ橋らしいけれど、
お前らの関係は何やねん!!
カッコつけて長財布にしたくせに、
なるべく薄いやつがいいからって、
マチ(折り目がついていて膨らむところ)のないタイプを使っている。
キャッシュレスだし丁度いいかと思っていたけれど、
こういうときに困る。
「50円玉と100円玉」
大きさは少し違うけれど、
側面のギザギザだけでは判断しづらい。
↓
100円玉だと思って出した50円玉のせいで会計が滞る。
↓
結局足りなくて、
1000円札を出すようになる。
↓
もうキャッシュレスでいいじゃん。
結局はそうなる。
放っておいた小銭貯金箱の使い道ができたな。
壊さないと中身が確認できないタイプのやつ、
随分前からあるけれどいくら溜まっているのかもわからない。
改めて思った。
便利って怖い。
どんどん衰える。
当たり前にしていたことがめんどくさくなる。
人は「便利」を手に入れると「不便」には戻れないのだな。
それって進化なのか退化なのかわからない。
「キャッシュレス」
どんどん進めたほうがいいと思うよ。
そのほうが世のため、店員さんのため、消費者のためだ。
世界はどんどん便利になっている。
それを感じさせるために、
未来を見越して50円玉と100円玉を似せて作ったのだとしたら、
日本も捨てたものではないのかもしれない。
そんなわけはないのだけれども、