「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

会えない時間が二人の距離を縮める

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昔のトレンディドラマなんかを見ていると、

携帯電話なんて便利なものはなかったから、

物理的にすれ違ってうまくいかなくなる。


「気持ちは繋がっているはずなのに、、、」

そんな切なさを演出している。


だけれども、

今は連絡が取れなくなるなんて、

めったにないことだから、

都合が悪くなると自ら連絡を断つのだ。


「繋がりたいけれど繋がることができない」


そういう時代から、

時は移り変わり、


「繋がりたくないから繋がらない選択をする」

 

便利になるほどに心の距離は遠ざかる。

なんとも因果なものだ。


「会えない時間が二人の距離を縮める」


次に会うまでに、

話したいことがたくさんあって、

それをどうやって伝えようかって、

妄想を膨らませて過ごす。


だけれども今は四六時中、

連絡を取り合って、

顔を見ながらおしゃべりできて、

そうした欲求を解消できてしまうのだ。


切る時だって簡単だ。

別れの言葉など必要ない。


連絡が途絶えたらそういうこと、

それを察することができないと「痛いやつ」


会う日の約束だけして、

その日を心待ちにする。

途中で連絡を取ることはできないから、

顔を見るまでは会えるかどうかわからない。

 

そんな不安に苛まれながらも、

どこか胸を踊らせて、

あの人のことだけを思い浮かべて、

その瞬間を待つ、

 

だから顔が見えた瞬間に、

抑えていた感情は爆発して、

自然と笑顔が溢れてくる。


昔は「恋愛」というものに、

「あまずっぱさ」がなければならないって、

そういう暗黙の了解があったのかな。


今はなんだか違う。

淡々と作業のように出会いを重ねて、

条件次第で関係を進めて、


「互いの利害の一致したところ」


そこが交際の始まりなのだ。


簡単に繋がることができるから、

忙しくいろいろな可能性を模索して、

落としどころを探っている。

男も女も誰かと比べて比べられて、


「恋に落ちる」


そこから始まる関係って、

絶滅危惧種なんじゃないかな。

結局はどこかで条件を探している。

 

婚活に毒されてしまったからだろうか。

 

そんな女性ばかりと関わっているものだから、

心はどんどん動かなくなる。

 

「好き」に理由なんて必要なのかな。

「好き」よりも婚期を優先して、

「この人でいいか」なんて落とし所を探って、

 

そんなものを恋愛と呼ぶならば、

そんな恋愛はできなくてもいいかな。

 

「笑窪は恋の落とし穴」

そんな素敵な落とし穴にハマってみたいものだ。

 

濃厚接触者

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こういうときだからこそあえて思う。


人と人とは知らず知らずのうちに、

繋がりを持っているということ、


名前も知らない。

人となりもわからない。

どこで接触したのかもわからない。


だけれども繋がっているのだ。


感情だってそう。

近くにイライラしている人がいると、

釣られて嫌な気持ちになる。


ちょっとした気遣いに触れるだけで、

釣られて優しい気持ちになることもある。


ウイルスなんて持ってのほか、

感染したくもないけれども、

良い感情には感染したい。


優しさに触れれば優しくなれる。

喜びに触れたら嬉しくなる。

助けてもらったらお返しがしたくなる。


今回の騒動で、

インフルエンザは例年の3分の1くらいしか流行していないという話を聞いた。

予防をすれば効果があるのだ。


思いやりの輪が広がれば、

気遣いの輪が広がれば、

収束に向けて進むのかもしれない。


こういうときだからこそ、

単純なことを疎かにせず、

予防に徹すること、

それが自分の周りにいる人たちへの責任、


医療は間に合わない。

未知に対応するには時間がかかるのだ。


予防の輪が広がること、


人類のウイルスへの最善の対抗手段は、

そこに対する団結なのかもしれない。


そういう意味でこれを機に、

心が繋がればいい。

 

今年の冬は中止になりました

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ビルの隙間から差し込む柔らかい光、

穏やかで心地よい。


もう下旬に差し掛かる。

なのにここまで暖かい。

2月は逃げるように去っていく。


「今年の冬は中止になりました」

 

まるでそう言われているみたい。

今年は本格的な冬って来ないのかな。

全然寒くないのだ。


空気は澄んでいるけれど、

どこか丸みを帯びている。


お日様のお陰かな。


心は凍えてしまいそうだから、

せめて体は冷やさないようにって、

気を使ってくれているのかな。


「春は、まだ来ない」

 

いつだってそう。

来そうで来ないのだ。


何度も何度もその訪れを予感するけれど、

その予感は外れてばかり、


どうしたらここまでうまくいかないのだろう。

自分でもわからない。


街ゆく人々は当たり前のように、

相手を見つけているのに、


理想が高すぎるのかな。

それともそういう運命なのかな。


期待に胸を膨らませても、

その期待はいつも消化不良で終わる。

私の心と体に傷跡だけを残して、


BUMP OF CHICKENスノースマイル


「冬が寒くって本当によかった。

君の冷えた左手を僕の右ポケットにお招きするための、

この上ないほどの理由になるから」


何度も肩は触れるけれども、

その手に触れることはできなかった。


飲み物を手渡すときでさえ、

触れないように慎重に、

 

臆病だったのかな。


あの時、

ぎゅっと握りしめることができたならば、

結果は違うものになっていたのかな。


だけれども、

今年の冬は「この上ないほどの理由」を作ってはくれなかったのだ。

 

そうやって冬のせいにしてしまえばいい。

また次に向かって進むのだ。


春はもうすぐそこまで、

恋は今終わった。

 

大人になるってどういうこと?

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嬉しい時、

悲しい時、

悔しい時に、

とめどなく流れてくる。


「涙」ってやつ、


きっと人類が進化の過程で作り上げた、

心を浄化するためのシステム、


あまりにも気持ちを溜め込んでしまうと、

心が壊れてしまうから、

だから上手いこと洗い流す。

 

そのためのシステム、


「泣き方を忘れてしまった」


大人になってしまうと、

我慢することばかりがうまくなってしまうから、

大事なシステムを上手く使えなくなってしまう。


小さい時はあんなにも簡単に当たり前のように、

使いこなしていたはずなのに、


「大人になる」って、

感情を殺してしまうことなのかな。


人のことを傷つけても、

平気でいられるようになることなのかな。


傷つけられても、

それを表に出さないってことなのかな。


あまりにも辛い。


それが「大人になる」ってことならば、

それって、本当に成長しているのかな。

それって、何かに飼い慣らされているだけじゃないかな。

それって、自分の人生を生きているのかな。


「涙の数だけ強くなれる」


それに異論はない。

だけれども強くなる方法には二通りある。


一つは掲げた理想を貫き通すこと

一つはそれを諦めること、


どちらにも強さが必要、

そのどちらも選べないことが弱さなのだ。


泣くような思いを重ねていれば、

きっとどちらかを自分で選ぶことになる。


涙も流さずに生きていたら、

自分の人生に責任を取らない大人になってしまう。


年ばかり重ねただけ、

大した努力をしないでいるくせに、

自分はいい思いをするのが当たり前、

そんなことを思って生きている人、


「どれだけ涙を流して生きてきたの?」


嬉しい時、

悲しい時、

悔しい時に、

とめどなく流れてくる。


その「涙」ってやつを怖がらないで、

その先にある「選択」を先延ばしにしないこと、


その積み重ねが、

「大人になる」ってことなんじゃないかな。


自分の人生に責任を取らないで、

誰かのせいにしていれば楽、


あいつが悪い。

環境が悪い。

政治が悪い。


立場や肩書きは関係ない。


この世界には、

自分の利益のために人を食い物にする、

そんな「大人のような子供」が溢れている。


時間が欲しくて欲しくて、

だけれども手に入らない。

そういう人はたくさんいるよ。


「命の使い方」

 

それをもう一度、
見つめ直した方がいいんじゃないかな。

 

久々に体調を崩した

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ここのところかなり忙しく、

慣れない土地に行き来していたものだから、

生活のリズムを崩していた。


この半年くらいは、

これでもかというくらい生活を整えて、

調子よく過ごしていた。


そんなものだからイレギュラーが発生すると、

こうも簡単に体調を崩す。


若い頃は無理の効く体だったのに、


自分を大事にしすぎると、

無理が効かなくなってしまうのかな。


過酷な状況に晒した方が、

心も体も鍛えられるのかもしれない。


だけれどもパフォーマンスを上げるためには、

生活を整えることも大事だし、

悩ましいところだ。


「少しだけ負荷のかかるくらい」


おそらくそれが最もいいのだろう。

だけれども社会生活を営む上で、

そこにチューニングするのは至難の技だ。


「どのような環境でも生活を崩さない意志の強さ」


それが足りなかった。

どこか浮き足立ってしまったのだな。


まだまだ甘い。

もう一つ意識を上げて、

体調管理に取り組まないと、


「時間がもったいない」


ここ最近はそう感じることが多いようだ。


やりたいことはたくさんある。

体調を崩している時間がもったいない。


少し急かされているのかな。

結果の出ない自分自身に、


ひとまずは体調を整えないと、

自分と向き合いながら、

 

癒されたいな。

心も体も隅々まで、

 

もう一度自分を魔法にかけることってできるのかな?

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小さい頃は、

無限の可能性が広がっていて、

これから何にだってなれるって信じていた。


「幼稚な全能感」というやつ、


だけれども、

歳をとるにつれて、

徐々に魔法は解けていってしまうのだ。


「上には上がいる」


そうやって挫折して、

努力の限界を痛感して、

人生に折り合いをつけていく。


そういうことを繰り返していると、

そのうちに自分の可能性を信じられなくなる。


あれだけ、

「なんでもできる」って、

心の底から信じていたのに、


もう一度自分のことを、

魔法にかけることってできるのかな。


根拠のない自信を取り戻して、

ひたすらに努力を繰り返す。

そういう自分に戻ることってできるのかな。


「挫折は人を強くする」


「折れない自分」ではなく、

「しなやかな自分」に変わるから、


だけれどもそれって、

見方を変えれば妥協なんじゃないのかな。

大人になるってそういうことなのかな。


「振り返ればいい人生だった」


人は最後に自分を納得させる。

無理やりにでも納得させる。

費やした時間を否定したくないから、


人生ってその繰り返しなのかな。


後ろを振り返れば無数のしかばねが転がっている。

その中をここまで進んで来られたのだから、

自分の人生は上出来だった。

 

「人と比べる必要なんてない」って、

自分に言い聞かせながらも、

人と比べては一喜一憂して、


死の直前に至る境地って、

どういうものなのだろう。


どんな人生だって、

費やした時間の分だけ、

愛せるものなのかな。

 

「最後に後悔しない人生」


それを理想に掲げない人はいないはず、

結局、人は自分のことを肯定したいのだ。


その行動を、

その人生を、

そして費やした時間を、


それを否定してしまったら、

生きている理由がわからない。


感情に流されて、

不誠実な仕打ちをしたところで、

時間が経てばそれを肯定している。

 

「ご都合のよろしいことで」


みんな自分のことが大好きなのだ。


だから自然と、

気がつかないうちに、

自分に魔法をかけ続けているのかな。


魔法は解けているようで、

解けていないのだ。


大人になるにつれて、

より巧妙に自分を騙して、

魔法をかけ続けている。


生きるって、

とても辛いことだから、


「希望」


そういう名前のにんじんを目の前にぶら下げて、

魔法をかけ続けているのかな。


それを信じて走り続けていれば、

結果に関わらず「やり切った」と思えるはず、

 

そうやって自分を納得させる。
人生ってうまくできているのだな。

 

ノムさん

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突然の訃報に驚いた。


選手としては戦後初の三冠王

通算歴代2位となる本塁打に打点、

キャッチャーをしながらの選手兼任監督

獲得したタイトルは数知れず、


監督としても超一流、

弱小球団を率いて種を撒き、

その数年後には全てのチームが日本一を経験した。

 

今やその教え子たちが、

球界各地で指揮をとっている。


訃報を受けた彼らは口々に言う。

「自分の野球人生で最も影響を受けた人」

 

このこと一つとっても、
球界に与えた影響は計り知れない。


「世界で一番『野球』を知っている人」

そう言って間違い無いだろう。


「ベースボール」ではない。

日本独自に進化した「野球」なのだ。


もともとルールは決まっていたけれど、

「投げたボールを打ちかえす」

そんな単純なスポーツ、

頭を使うだなんて考えは浸透していなかった。

 

配給を読んだり、

投手や打者の癖を分析したり、

クイックや投手分業を生み出したり、

時にはプライベートな揺さぶりをかける。

 

『野球』を頭を使うスポーツにした。

 

その第一人者、

「日本の現代野球を作った人」

そう言って差し支えないだろう。


私はヤクルトファンだ。

 

物心ついた時は、

「野村ヤクルト」黄金時代だった。


4位と優勝を繰り返す。

常勝ではない。

どこか魅力的なファミリー球団、

だけれども個性的で強いチームだった。

そんな姿に惹かれたのだろう。


多くのヤクルトファンは、

おそらくこの時期を経験している。

その姿を見てファンになった人は少なくないはず、


ノムさんが監督をしていなかったら、

人気低迷から球界再編の荒波を乗り越えることができずに、

ヤクルトスワローズという球団は存続していなかったかもしれない。


弱くても応援することをやめられない。

もはやライフワークの一つ、

こんなにもワクワクする球団を残してくれた。


そう考えると私にとっても恩人だ。


球春到来して、

各地でキャンプが始まっている。


恩師の訃報に涙を見せた、

そんな高津監督率いる今年のスワローズが、

どのような戦いで野村監督に応えるのか。

今から楽しみだ。


野村監督、


野球を愛して、野球と共に生きた人生、

本当にお疲れ様でした。

 

これからも天から球界を見守っていてください。

 

春の訪れと共に、

今年もプロ野球は始まる。