「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

単身者たちを応援したい ~コロナに負けるな④~

f:id:tureture30:20200417071359j:image

 

一日中、一人で家にいて、

気が付くと夜を迎える。

そんな日が増える。

 

イベントは中止、

楽しみな予定は全て白紙、

恋人たちはなかなか会うことができない。

 

人との接点はメールやチャットだけ、

案外仕事って人と会わなくてもできてしまうのだな。

 

最近結婚したあいつらは、

「不安だ」と言いながらもどこか楽しそう。

 

「二人でゆっくり過ごす時間がとれてよかったね」

 

皮肉を込めたつもりはないけれど、

そんな皮肉めいた返事をしてしまった。

 

どうして自分には、

こんな時にいっしょにいてくれる相手がいないのだろう。

 

「あの時にああしていれば」

 

一人の時間だけはたっぷりあるものだから、

そんな無駄な後悔が頭をよぎる。

 

だけれども、

孤独に耐えることって、

これから先にたくさんあること、

 

「誰かが隣にいてくれないと生きてはいけない」

 

そんな自分だったらきっと、

誰かといっしょになってからも、

相手に寄り掛かるだけになってしまう。

 

「自立した個人同士がいっしょになる」

 

足りないから支えあうのではない。

それぞれが一人でも幸せだけれども、

「二人ならもっと幸せ」だと思えるから、

だからいっしょになる。

 

そういう関係の方が、

あなたには合っているんじゃないかな。

 

だから今の期間は一人で生き延びて、

たくさん「孤独」を吸収して、

「一人でも幸せなんだ」って、

そう胸を張って言える自分になる。

 

そのための期間なのだ。

 

それで遠ざかる縁ならばいらない。

それに共感してもらえる縁を引き寄せるのだ。

 

「結婚したい病」を治すにはいい機会、

英気を養って、

いざと言う時に機を逃さない自分になる。

 

「幸せ」をつかむ人って、

よほどのクズはともかくとして、

誰といっしょになっても「幸せ」を感じられる人、

 

逆に「幸せ」を逃す人って、

誰といっしょになっても不満の尽きない人なのかもしれない。

 

自分で自分に制約をつけて、

少しでも気に入らないと切り捨てて、

それって「自信がない」ってことの裏返し、

 

「一人で生きていく自信」

 

いつまで続くかわからない。

こんなにも「孤独」と長く向き合う期間、

それが培ってくれるんじゃないかな。

 

だから負けるな。

単身者たち、

コロナに負けるな。

 

私も、負けるな。

 

 

 

運送業者の方たちを応援したい 〜コロナに負けるな③〜

f:id:tureture30:20200416074930j:image

 

「不要不急の外出は控えて下さい」


そう言われれば言われるほどに仕事は増える。

人が動かない分だけ物が動くのだ。


分刻みのスケジュール、

とにかく時間に追われている。


マスクをしないで届けに上がると、

「非常識だ」と罵倒される。

会社は支給なんてしてくれないのに、


社会は止まっても止まることを許されない。

「私だって不安なのに」


朝から晩まで重い荷物を運んで、

皆さん気が立っているものだから、

自分が頼んだくせに届けると邪魔者扱いされて、

 

「もうやっていられない」


便利になればなるほどに、

「便利なこと」が「当たり前」になる。


その陰で働く人たちの努力があって、

それで成り立っている「当たり前」なのだ。

 

人はいつだってそう。

「当たり前」が「当たり前」になると、

そんなことも忘れてしまうのかな。


「それが仕事だろ」って、

それはそうだけどさ。


業務内容に、

「マスクをしていないから罵倒される」

そんな項目は含まれていない。


「感染するかもしれない」って、

不安を抱えながら汗水流して外を駆け回る。


誰かがやらなければならない仕事、

生活を守るために、

誰かがやらなければならない仕事なんでしょ。

 

届ける側も心の通った人間だ。

そして大事な仕事を担っている。

 

そんな当たり前のこと、

簡単に忘れてはならない。


負けるな。

運送業者の方たち、

コロナに負けるな。

 

「幸せ」って手に入らないから「幸せ」なんじゃないの?

f:id:tureture30:20200415072041j:image

 

ドラマ『知らなくていいこと』

その中で不意に出てきた言葉、


既に手に入れた「幸せ」のことを、

人は「幸せ」だと思えないのかもしれない。


手に入れてから時が経てば経つほどに、

その「幸せ」に慣れてしまうのだ。


悩みは尽きない。

一つ解決したところで、

また次の悩みが顔を出す。


そうやって、

悩みを追いかけて、

悩みに追いかけられるのが人生なのだ。


「可哀想、可哀想、

私はなんて可哀想なのかしら」


悩みに追いかけられて、

逃げ場を失ったものだから、

塞ぎ込んで、現実と向き合うことをやめて、

ただただ自慰に耽る。


それが不幸の始まり、


悩みのあることが不幸ではない。

悩みに押しつぶされて、

自分で自分を「不幸」に仕立て上げるのだ。


「不幸」に浸っていれば、

慰めの言葉の一つでもかけてもらえるかもって、

顔を覆った指の隙間から周りの様子を伺っている。

 

それでも相手にしてもらえないと、

誰かに聞こえるように大声で泣き喚く。


「可哀想な私」


立ち直るまでの居場所にするのは構わないけどさ。

そこを拠点にしてしまったら、

惨めな人生しか待っていないよ。


人の不幸話なんて一度聞けば十分、


初めは親身に聞いてくれていても、

同じことを聞くたびにうんざりするようになる。

そういうものだ。


人はいつまで経っても無い物ねだり、


科学技術の発展で、

世界の距離が近づいてしまったから、

上を見れば欲望は際限なく広がっていく。


「夢を持つな」とは言わないけれど、

「夢を持て」とも安易には言えない時代、


掲げた夢の先にあるものって、

本当に幸せなのかな。


「好きで好きでたまらない」


そういうことならば、

時間の許す限り続ければいい。

それが正しい持ち時間の使い方、


「夢中になれること」は、

それがそのまま「生きがい」に変わる。

生きていく上でとても大事なこと、


だけれども、

人は変わるものだ。


どれだけ夢中になっていたことでも、

うんざりするくらいに嫌いになることもある。


そうなってしまったらきっと、

それを続けたところで、

いつまで経っても「幸せ」は見えてこない。


「夢中になれること」


時を忘れて夢中になるから、

きっとその時の自分が幸せだってことに気がつかないのだ。


「幸せの正体」って、

夢中になれるものの尽きない人生、

「夢中になること」そのものなのかな。


だから安定した幸せを手に入れても、

それを徐々に「当たり前」に変えて、

また新しい幸せを探そうとする。

「夢中になれるもの」を求めて、


「もういいや」って、

「もう十分」って、

「夢中」を追いかけ続けた先に訪れる、

そんな素敵な人生の終わり、


「幸せ」って、

「夢の先」にあるわけじゃない。

「夢の中」にあるんじゃないかな。


だからいつまで経っても手に入らないのだ。

人はいつだって「幸せ」に気付くことができないから、

 

妊婦たちを応援したい 〜コロナに負けるな②〜

f:id:tureture30:20200414062617j:image

 

情報は少ない。

 

どうしたらいいのかわからないのに、

やらなければならないことは山積みだ。

予定日は刻々と近づく。

 

お腹を抱えながら、

仕事を抱えながら、

家事を代わりにしてくれる人はいない。

 

「感染するわけにはいかない」って、

慎重に慎重を重ねて生きているのに、

同居のあいつは普段と何も変わらない。

そんな無神経さに苛立っては「自己嫌悪」

 

「自分だけの体ではない」


その言葉が大きなプレッシャーとなる。

好意の押し売りが重荷になる。

「そんなことはわかっているよ」って、

言葉にならない声が漏れる。


「不安」


何度も自分と向き合いながら、

お腹から伝わる鼓動に向き合いながら、

何度も何度も「覚悟」を固めたつもり、

 

だけれども毎日揺らぐ。

普段では気にもしないことで、

そんなちょっとしたことで大きく揺らぐ。


そのたびに「自己嫌悪」

そして一番近くの一番当たりやすい人に当たって、

また「自己嫌悪」

 

「不安で仕方がないんだよ」

 

ただでさえ「不安」なのに、

その上から「不安」が重なる。

 

不安、不安、不安、

上からも下からも不安がやってきて、

不安に押しつぶされてしまう。


だけれども、

お腹だけは押しつぶされないようにって、

身を挺して必死に「宿した命」を守る。


その姿は美しい。

この上なく美しい。


大丈夫、

この世のものとは思えないほどの、

感動に心を震わせる。


そんな出会いの瞬間は、

きっともうすぐだから、

 

あなたは自分と向き合い続けている。

この10ヶ月って「自己嫌悪」との戦いなのだ。

そして新しい命とも向き合っている。

 

「命」と向き合う。

それってとても大変なこと、

辛くて、苦しくて、孤独なこと、


だからその戦いに勝利した先に、

輝かしい未来が待っていないわけがない。


だから負けるな。

妊婦たち、

コロナに負けるな。

 

そしてありがとう。

苦しみに耐えてくれて、

ありがとう。

 

きっと生まれた宝物を見て、

誰もがそう言ってくれるはず、

 

普段は無口で不器用なあいつも泣きながら、

心の底から「ありがとう」って、

きっとそう言ってくれるはず、

 

走る人たちを応援したい 〜コロナに負けるな①〜

f:id:tureture30:20200413055346j:image

 

道は走る人たちで溢れている。

 

学校の始まらない子供たち、

テレワークのサラリーマン、

時には親子で揃って、

 

そんな姿を見かけるようになった。

 

外出自粛が長引くものだから、

痺れを切らして体を動かしたがる。


だから走るのだ。

ひたすらに息を切らして、

力の限り走るのだ。


悶々としながら過ごす。

将来への不安は拭えない。

 

収入は大丈夫か。

会社は大丈夫か。

居場所は守れるのか。

自分は感染していないのか。

大切な家族は大丈夫か。


そんなことばかりがグルグルと、

頭の中を駆け巡る。


だから走るのだ。


ひたすらに、

ただただ息を切らして、

走るのだ。


何も考えなくていい。


体の鼓動を感じて、

「どうにかして酸素をより多く取り込もう」

そんな体の発する指令だけに心を傾けて、

ただ呼吸の苦しさにだけ耐えていればいい。


だから走るのだ。


人には何も考えない時間が必要、

不安ばかりに脳の中を支配されないために、

脳を休ませてやる時間が必要、


息を切らした末に、

不安ばかりだった頭を空っぽにしてあげれば、

その空白に最初に入るものは「心地よさ」

生に対する実感だ。


「私は生きている」


それを実感するための作業、

それは不要不急といえるのかな。


私は走る人を応援したい。


孤独に苛まれながら、

不安に耐えながら、

ただただじっと我慢して生きる。


そんな生活に彩りを添えるための、

そのためのささやかな術、


ランナーたちよ。

コロナに負けるな。

 

村上春樹『国境の南、太陽の西』

f:id:tureture30:20200412103136j:image

 

おそらくこの作品は、

村上春樹氏の長編作で、

最も知名度の低いものだろう。


テーマはとても複雑だ。


「自分の人生を生きること、

そしてそれに責任を取ること、

そしてその先に待ち構えているものが虚しく、

夢や希望というものは誰かが演じる役割の先にある幻想に過ぎないということ」


主人公は何一つ不満のない、

幸せな生活を送っている。


社長令嬢でありできた妻と一緒になり、

二人の子宝に恵まれて、

義父から援助を受けて始めた、

2店舗のジャズバー経営は順調そのものだ。


しかし忘れられない過去が2つある。


12歳の時まで、

どうしようもなく惹かれあった女性と、

すれ違いの末に会えなくなったこと、


そして学生の頃に付き合っていた彼女を、

自らの裏切りによって、

人生を壊すくらいに傷つけたことだ。


37歳になったある日、

突如、経営する店に、

どうしようもなく惹かれあった女性が現れる。

25年ぶりに会った彼女は告げる。


「あなた以外の人を好きになったことはなかった」と、


そこから始まる葛藤、

一目会ってしまったその瞬間から、

「幸せ」だったはずの日常は色あせてしまう。


妻でも二人の娘でもない。

熱心だった店の経営にも熱が入らない。

彼女のことしか考えられないのだ。


しかし、彼女は大きな傷を抱えている。

そしてその傷を受け止めることは、

「心中」を意味する。


それでも彼女のために全てを捨てる覚悟を決める主人公、

しかし一夜を過ごして目が覚めると、

彼女の存在した痕跡は、

霧のように跡形もなく消えていた。


再び彼女を失った欠落感に沈む人生、


そんなある日、

彼女の幻影を見つけて車を飛び降りると、

昔裏切った元カノと顔を合わせることになる。


元カノの顔からは、

表情というものが全て奪い去られていた。

主人公を責めるでもなく蔑むでもない。

ただ全くの無表情から注がれる視線、


「いつだって見られていたのだ」


そんな予感に吐き気を感じてうずくまる。


元カノを損ない、妻を損ない、どうしようもなく惹かれあった彼女を損ない、

自分は誰かを傷つけるつもりではないのに、

どうしたって傷つけてしまう。

そんなカルマに打ちのめされた。


その経験から全ては流されてしまった。

彼女の幻影も、欠落感も、徐々に薄まっていく。


「人は砂漠で生きている。

でも本当に生きているのは砂漠なんだ」


意思の力ではどうしようもないことだらけで、

結局はペルソナを使い分けながら、

与えられた役割を演じているだけ、


どんなに大きく悩んで葛藤して、

生を全うしようと足掻いても、

人しれず大いなる何かに飲み込まれていく。


そこで初めて妻と向き合う。

「私がどれだけ傷付いたかわかる?」

その一言から始まる話し合い。


「君と別れたくない」

 

お互いの傷や弱さをさらけ出して、

そこから始まる新しい生活、

 

f:id:tureture30:20200412103340j:image


誰もが抱える欠落感、

 

役割を演じることでそれを埋めようとする。

演じ続ければ満たされるんじゃないかって、

その隙間を埋めることができるんじゃないかって、


だけれども欠落感自体が自分自身、

どんなにうまく役割を演じたところで、

その欠落感を手放すことはできないのかもしれない。


それでも与えられた役割を演じるのだ。

誰も見ていなくても、

自分は自分に当てがわれた役割を演じ続けるのだ。


世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で芽吹き、

ノルウェイの森』で熟成され、

ダンス・ダンス・ダンス』で救いを求め、

国境の南、太陽の西』に至り、

ねじまき鳥クロニクル』で決着する。


この変遷から著者の葛藤する様を、

みずみずしく感じることができる。


言い方は悪いかもしれないが、

これより後の村上作品はおそらく道楽だ。

読み物としては確かに面白い。

だけれども言い回しを変えただけの焼き直しばかり、


ねじまき鳥クロニクル』までに、

村上春樹氏は作家としての役割を果たしたように思う。

あとは気のままに好きに書いているのだろう。


単行本の発行日で見るとちょうど10年だ。

映画『風立ちぬ』で語られた、

創造的な人生の持ち時間と同じ期間、


「命をすり減らして描いた作品たち」


河合隼雄氏との対談で、

それを色濃く感じることができる。


濃密にして、

テーマを変えて「人生」を問うてくる作品群、


おそらく私が生きているうちに、

何度も読み返すであろう、

バイブルと言えるものたち、

 

満たされない。

だけれども満たされたい。

そのために誰かを傷つけてしまう。

 

自身の暴力性と向き合う。

うまく折り合いをつけながら、

大事なものだけはどんな手を使っても掴み取る。

 

強くないと器用でないと、

痛みに鈍感にならないと、

望むようには生きていけない。

 

それが人生ってものなのかな。

 

キレイゴトの世界では生きていけなくなってしまった

f:id:tureture30:20200411101055j:image

 

私はもともとキレイゴトの世界で生きていた、

キレイゴトの世界の住人だ。


だけれどもいくつかの出来事を経て、

徐々にその世界では生きていけなくなった。


「キレイゴトの世界」


綺麗で美しくて麗しい世界、

その世界はきっと愛で満ち溢れている。

無性の愛で満ち溢れている。

 

正しいことをしてうまくいけば褒めてくれるし、

間違ったことをしたらきちんと叱ってくれる。

 

いつも自分を気にかけてくれる人がいて、

何から何まで導いてくれる。

「正しいもの」と「間違ったもの」のことを、

1から10まで手取り足取り教えてくれる。

 

そんな、、、少し不自然な、

愛で満ち溢れている。


死ぬまでその世界で生きていけたならば、

どんなに幸せだろうか。

きっと「信じられる」ってことは才能なのだ。

私にはその才能はなかったのだろう。

 

「空っぽ」

 

自分の器を満たす作業を、

他の何かに任せっきりにしていたから、

それを「抜き」にしてしまうと、

中身は何も残らない。

 

自分の足で立って歩いて、

自分の頭で考えて、

自分の人生を生きる。

 

そうやって自分の器を満たしていくのだ。

その他に方法はない。

 

何かをフレームワークにして、

それを足がかりに器を広げていくのは構わないけれど、

器ばかり大きくなっても中身は空っぽ、

 

外見は立派なもの、

言うことは立派なこと、

一見すると素敵な人、

 

だけれどもそれは、

そう見えるだけで、

誰かの言葉で話して、

誰かの真似事をして生きているだけ、

 

行動の源泉は「誰かに認められたいという気持ち」

その物差しは「誰かの評価」だ。


「結局は好き嫌いなんだよ」


誰かの物差しを持ち出して、

それをもとに生きたとしても、

結局は権力者に気に入られるかどうか。

扱いにくい人間は正当に評価されない。


「報われない努力もある」


結果が出なくても、

周りが非協力的でも、

自分が頑張ればきっとうまくいく。

 

うまくいかなくても、

頑張って、頑張って、頑張り続ければ、

きっとうまくいく。


そうやって手足を動かし続けて、

心の燃料を使い果たして、

それに気がつくことなく動き続けて、

頑張っても、頑張っても、頑張っても、

どれだけ頑張ってもうまくいかない。


「まだまだ努力が足りない」って、

自分に言い聞かせて、

頑張って、頑張って、頑張り続けて、

最後は精魂尽きて動けなくなってしまう。

 

「それで何が残るの?」

 

それでも自分を認めてあげられるならば、

まだまだ見所があるのだろう。

 

「信じられる」って、

その才能の持ち主なのかもしれない。

 

だけれども私には無理だった。

いつからだろう。

 

「キレイゴトの世界では生きていけなくなってしまった」

 

だから私はその世界を捨てた。