私はもともとキレイゴトの世界で生きていた、
キレイゴトの世界の住人だ。
だけれどもいくつかの出来事を経て、
徐々にその世界では生きていけなくなった。
「キレイゴトの世界」
綺麗で美しくて麗しい世界、
その世界はきっと愛で満ち溢れている。
無性の愛で満ち溢れている。
正しいことをしてうまくいけば褒めてくれるし、
間違ったことをしたらきちんと叱ってくれる。
いつも自分を気にかけてくれる人がいて、
何から何まで導いてくれる。
「正しいもの」と「間違ったもの」のことを、
1から10まで手取り足取り教えてくれる。
そんな、、、少し不自然な、
愛で満ち溢れている。
死ぬまでその世界で生きていけたならば、
どんなに幸せだろうか。
きっと「信じられる」ってことは才能なのだ。
私にはその才能はなかったのだろう。
「空っぽ」
自分の器を満たす作業を、
他の何かに任せっきりにしていたから、
それを「抜き」にしてしまうと、
中身は何も残らない。
自分の足で立って歩いて、
自分の頭で考えて、
自分の人生を生きる。
そうやって自分の器を満たしていくのだ。
その他に方法はない。
何かをフレームワークにして、
それを足がかりに器を広げていくのは構わないけれど、
器ばかり大きくなっても中身は空っぽ、
外見は立派なもの、
言うことは立派なこと、
一見すると素敵な人、
だけれどもそれは、
そう見えるだけで、
誰かの言葉で話して、
誰かの真似事をして生きているだけ、
行動の源泉は「誰かに認められたいという気持ち」
その物差しは「誰かの評価」だ。
「結局は好き嫌いなんだよ」
誰かの物差しを持ち出して、
それをもとに生きたとしても、
結局は権力者に気に入られるかどうか。
扱いにくい人間は正当に評価されない。
「報われない努力もある」
結果が出なくても、
周りが非協力的でも、
自分が頑張ればきっとうまくいく。
うまくいかなくても、
頑張って、頑張って、頑張り続ければ、
きっとうまくいく。
そうやって手足を動かし続けて、
心の燃料を使い果たして、
それに気がつくことなく動き続けて、
頑張っても、頑張っても、頑張っても、
どれだけ頑張ってもうまくいかない。
「まだまだ努力が足りない」って、
自分に言い聞かせて、
頑張って、頑張って、頑張り続けて、
最後は精魂尽きて動けなくなってしまう。
「それで何が残るの?」
それでも自分を認めてあげられるならば、
まだまだ見所があるのだろう。
「信じられる」って、
その才能の持ち主なのかもしれない。
だけれども私には無理だった。
いつからだろう。
「キレイゴトの世界では生きていけなくなってしまった」
だから私はその世界を捨てた。