「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

違和感に敏感になるということ

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何気ない日常における違和感、

それに気が付くことで視野が広がる。

そういう癖をつけることが大事、

そこからビジネスチャンスが広がるという。


そういう記事を読んで、

「なるほど」と思うと同時に、

それにも「違和感」を感じた。


敏感になりすぎると、

どうにも「生きづらい」と、

そう感じてしまう。


先日記事にした、

吉本ばななさんの『哀しい予感』

そのテーマは「知らなくていいことなど何一つない」


過去の傷と向き合ってそれを受け入れていく。

人生を先に進めるためにその作業の重要さを描いていた。


それってしんどいことだな。

つくづくそう感じる。


どちらかといえば、

「知らないほうが幸せなこともある」

私の考え方はそっちよりだ。


だけれどもそれって、

GLAYが『サバイバル』で歌うところの、

「極上のスパイス」を味わっていないことになるのかな。


私は臆病だ。


チャンスがあってもいざとなると、

一歩を踏み出せずにそれを逃してしまって、

傷ばかり増えていくことになる。


どうせ傷が増えるのならば、

一歩踏み出したほうがどれだけよかったか。

そう後悔したことは数えきれない。


だから「違和感に敏感になること」

そして「違和感に気が付いても自分の希望をかなえる強さを貫くこと」

それはセットで必要なことなのかもしれない。


敏感な人ほど臆病だ。

周りの気持ちや行く末を察知してしまうから、


チャンスって「はぐれメタル」みたいなもの、

考えを巡らせているうちに逃げてしまうのだ。


見つけたらイチかバチかの「魔人斬り」

別に外れたって逃げられるだけだ。

何もしなくても逃げられるならば、

行動を起こしたほうがいい。


「人の痛みに敏感なこと」


もともとは人の痛みに、

そして自分の痛みに鈍感だった私が、

ある出来事を境に手に入れたものの一つ、


それを大事にしながらも、

「チャンス」に対しては貪欲に、

そう生きていくしかない。

 

周りの幸せばかり考えて、

自分の幸せを蔑ろにしていたら、

自分だけが取り残されてしまうのだ。

 

自分の居場所は自分で確保するしかない。

 

運が良いとか悪いとか、

そういうことばかりに囚われているのって、

誰かのせいにして自分が楽をしようとしているだけ、


私の性質としては難しいことなのだけれども、

貪欲に向き合うしかないのかな。

 

どうも理性的に振る舞ってばかりいると、

自分の希望することまで分からなくなってしまう。

 

「違和感」

 

それってきっと、

自分の生き方にそぐわないから感じる物、

 

ダメで哀れで欲望に正直な自分、

その先にあるものがオブラートに包まない、

本当に自分の求めているものなのかな。

 

例えそれがどんなに醜いものだったとしても、

 

私が「ポルノ断ち」をしている理由

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※男性向けご容赦

 

映像コンテンツの充実するこの時期に、

時間を持て余すことの増えたこの時期に、

敢えて私は決意した。

 

1か月くらいになるだろうか。

「ポルノ断ち」を続けている。

 

アーティストの方ではない。

本家本元の「ポルノグラフィティ」を見ないことにしている。

 

きっかけは特になかったと思うけれど、

敢えてきっかけに理由をつけるならば、

「私の自尊心を回復するため」と、

そうしておこう。

 

デジタルで満たされてはいけないのだ。

 

歴史的な騒動の時だからこそ、

自分史に残るような変化を求めて、

動き出さないといけない。

 

そういうもっともらしい理由をつけて、

自分を「挑戦」しているような気にさせる。

 

私の常套手段だ。

 

ナイナイの岡村隆史氏は、

不謹慎発言でだいぶ叩かれたけれど、

「女性を道具として見ている」

そういう意識が反感を買ったのだろう。

 

コンプレックスからくるもの、

 

満たされないから、

女性を敵視したり下に見ようとする。

発言はともかく気持ちはわかる気がする。

 

だけれども逆だってそうだ。

「ATM」と揶揄される男性、

「男はみんなバカだ」って公言する女性、

 

コンプレックスからくるもの、

女性だって男を敵視したり下に見ようとする。

 

「性欲を満たすための道具」

「不安を解消するための道具」

 

そうやって互いを道具にするのだ。

すべての病理はそこにある。

 

 

前の職場でのこと、

 

「夜な夜な右手を相棒に一人でやっているのか」って、

きっかけは忘れたけれど上司とそういう話になった。

しかも少し年配だけれども女性の前だ。

 

「ますをくんはよろしくやっているの?」

みたいなことを聞かれて、

「よろしくやっていますよー」って答えた。

 

そうしたらその女性、

「えー、ますをくんはそういうことしないと思ってた」

だってさ。

 

いやいや、

さすがに草食の権化のような私でもする。

 

普段は紳士気取っているくせに、

イザという時に臆病で手を出せないような、

元カノと二晩過ごしても手を出せなかったような、

そんな私でもよろしくやっている。

 

むしろ余程な事情がなければ、

一人でしていない青年期の男はいないだろう。

 

一人での孤独な演習を積み重ねて男は実戦に臨むのだ。

私の場合は臆病で戦場放棄をしてきたのだけれども、

 

ガチでジムに通っていた時は、

一人ですること自体を禁止にしていたこともあった。

 

今決めていることは、

別にしてもいいけれど、

ポルノには頼らないというもの、

 

想像力をフル回転させるのだ。

頭の中では何を考えるのも自由だ。

行動は制限されても頭の中までは縛られない。

 

翼を広げて、

自由にはばたくのだ。

どこまでも遠くへはばたくのだ。

 

敢えて問いかけたい。

「デジタルで満足しちゃっていいの?」

 

いやいや「本でしています」って、

そういう問題ではない。

 

相手のいない男性諸君、

 

その想像力をフル活用して、

この時期を乗り越えよう。

 

そして望むのならば、

騒動後には相手を見つける。

そんな活力に変えるのだ。

 

なんてね。

 

ここまで書いて思うのだけれども、

実績のない私が主張したところで、

何の説得力もないのが一番痛いところだ。

 

私の周り、

最近の入籍が増えている。

相手がいたらそうなる気持ちもわかる気がする。

 

同じように思っている女性も少なくないはずだ。

だから騒動が終わってからが相手を見つけるには勝負、

・・・のはずだ。

 

先日紹介したヨルシカの『だから僕は音楽をやめた』

じゃないけれども、

tureture30.hatenadiary.jp

 

騒動後に相手を見つけるため、

 

「だから僕はポルノをやめた」

 

「ソーシャルディスタンス」っていうけどさ

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いつもより時間があるものだから、

人の揚げ足を取ることばかりに夢中になっている、

そんな人がいる。

 

かたや、

不安なものだからその感情を共有するために、

世の中には応援の言葉があふれている。

 

この二つは真反対のように見えるけれども、

動機は大して変わらないのだ。

 

「自分の存在意義を世に示したい」

 

きっとそういうこと、

 

なんだか心の距離も、

「ソーシャルディスタンス」を進めているのかな。

 

画面越しにしか人とつながっていない。

やはり直接顔を合わせないと距離は遠くなる。

 

何度かオンラインで飲み会をして、

それはそれで面白いことは分かったけれど、

生身の「熱感」ってきっとある。

 

目の前の人はどういう思いを抱いているのか。

そういうのって体から発する熱で伝わる。

 

「ソーシャルディスタンス」

 

そうやって、

物理的に距離を取ってしまうものだから、

温度が伝わらない。

 

体だけではなくて、

自然と心も離れてしまっているみたいだ。

 

「生身に触れたいな」

そう思ってもそれはタブーなのだ。

 

人はそれを禁止され続けると、

どこへ向かってしまうのだろう。

デジタルの世界にそれを求めるのかな。

 

少し前に話題になったけれども、

アダルトサービスがこぞって無料を打ち出した。

それに殺到して無料登録した人の個人情報流出なんてこともあった。

 

Amazonプライムもそうだし、

wowowやネットフリックスなんかも好調なようだ。

人の欲求はデジタルだけで満たされるように作り替わるのかな。

 

だけれども、

逆に相手のいる人は距離を縮めている。

私の周りでは騒動後も入籍する人が増えた。

 

学校が休みになって、

未成年の妊娠が増えて相談件数が過去最高なんて報道もあった。

 

「生身に触れたい」

 

きっとそれって根源的な欲求、

いくらテクノロジーが発達しても、

他のものに代替することはできないのだ。

 

遠い将来のことは分からないけれど、

少なくともまだまだ人は、

生身で触れ合うことを求めているのだ。

 

ZARDMy Baby Grand ~ぬくもりが欲しくて~

ぬくもりが欲しくて

人混み歩いた

ブルーなときはそばにいて

今ならもっと素直になれる

街中がやさしい

 

Mr.Children『旅人』

情報過多で簡略化だぜ

文明の利器は僕らをどうして何処へ運んでく

誰だってしんどい

集団で牛丼食べて孤独な想いを消してんだ

ほらもう少しの辛抱

あわてん坊よ焦るな

 

これを機にますます効率化が進んで、

人同士がデジタルでばかり繋がるようになったとしても、

どこかに残る「本能」というもの、

 

私はそういうものを信じている。

 

これから我々がどこに向かったとしても、

孤独や不安や弱さを抱えて生きる。

そして「居場所」を守るためには強かになれる。

 

どこまでいっても、

そんな「強く儚い」生物でありたいものだ。

 

創作意欲の源泉となるもの

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ここ最近は言葉が出てこない。

理由ははっきりしていて「触発がないから」だ。

 

人とは触れない。

自然とも触れない。

感情は動かない。

 

だから言葉が出てこない。

 

それって私のブログにとっては、

割と致命的なこと、

 

私から出てきた言葉を紡いでここまでやってきた。

 

社会情勢やら書評やら映像作品評やら、

それはそれで記事になるのだけれども、

当の本人はどこか書いていて物足りない。

 

悩み苦しんでいた時期は、

筆を執ると自然と詩のようなものが降りてきた。

今は詩を書こうと思ってもでてこない。

 

「創作意欲の源泉」

 

それって「大きく心を揺さぶられる出来事」なのかな。

それが負の方向に動いたとしても、

心が動けば人はそれを誰かに伝えたくなる。

 

自分の居場所を確認するために、

「感動の共有」をしたくなる生き物、

それが人なのだ。

 

だから自分の心が震えていなければ、

誰かに伝えたいものなど何もないのだ。

 

口から先に生まれてきたような演説家、

どうにも「伝えたいことがある」ように見えるけれど、

よく見ていると「本当はどうでもいいんだ」って、

そういうのってわかる。

だけど誰も口にしていないだけ、

 

きっと文章だってそうだ。

惰性になっていたら、

皆さん気が付いているんだけれども、

誰も指摘しないだけ、

 

最近はあまりにも心の震えるような出来事がないものだから、

なんだか無意識にそれを探しているみたい。

 

空はこんなに青いのに、

大手を振って外を出歩けない。

 

早く収束してくれたらいいのにな。

今の生活はどこか「不自然」だ。

これでは湧いてくるものも湧いてこない。

 

今だから思う。

 

「悩み」や「苦しみ」も、

きっと人生に必要なものなのだ。

 

それは今回の騒動が教えてくれたものの一つ、

コロナ禍で自殺者が減った件について

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報道されていたけれども、

今年の4月は自殺者数が前年比でかなり減ったらしい。

 

警察庁の発表によると、

1814人 → 1455人

約19.8%減となった。

 

人数にして359人、

結構な数だ。

 

「なんだかわかる気がする」

多くの人はそう感じているだろう。

 

要因の全てではないだろうけれど、

コロナ禍が大きく影響していることは間違いない。

 

ストレス要因の大半は人間関係、

今の世の中は人と人との距離が近すぎるのだ。

 

何をするにも周りの目ばかりを気にして、

組織においては忖度を強いられて、

 

居場所を確保するために、

自分を殺している。

日常的に精神的自殺を繰り返しているのだ。

 

そんなことをしていたら疲弊するのは当たり前、

加えて春先は自律神経が乱れやすくメンタルを崩す人が多い。

だいぶ落ち着いたけれど私もそうだった。

 

4月は希望に満ち溢れた「出発の月」であると同時に、

不安の多い時期でもある。

 

そしてその不安は、

潜在的」なものではなくて、

目の前に突きつけられた「顕在的」なもの、

 

毎日重い足を引きずりながら満員電車に乗り込んで、

職場や学校に着いたら着いたで、

すぐに役割を演じないといけない。

 

「居場所」を守るために、

 

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みんなそういう生活に嫌気がさしているのにね。

みんなに合わせて文句を言いながらも続けている。

なんともお偉いことで、

 

テレワークを続けてみて、

「通勤時間って本当に必要?」って、

とてもそう感じる。

 

可能な職種ならば、

基本は在宅にして、

必要な時は出社すればいいのに、

 

往復で考えて、

一日のうち1時間から2時間、

多い人だと3時間を超える。

 

「私にとって通勤時間は至福の時なの」

 

そんな人はいない。

おそらく大多数にとっては苦痛に耐える時間だ。

 

その時間を生産性向上に充てればいい。

そして人生の充実に充てればいい。

 

決まった時間から決まった時間まで、

オフィスにいなければならない。

 

もちろんそれが必要な職種もある。

 

だけれども多くのオフィスワークって、

それよりも成果を求められるべきなんじゃないかな。

 

例えば10時間かけて80点の成果物を作成する。

かたや20時間かけて90点の成果物を作成する。

今の日本では後者が評価されることが多いだろう。

 

だけれども本当にそうなの?

 

前者は後者と同じ時間をかけたら、

80点の成果物を2つあげられる。

 

実際は多くの場合で、

前者のほうがコスパがいいんじゃないかな。

 

そもそもがおかしいのだ。

 

話がそれたな。

自殺の話だった。

戻そう。

 

「コロナ禍」

 

もちろん起こらないに越したことはなかった。

 

だけれども、

それが社会に問いかけることは少なくない。

 

少し環境を変えてみて、

冷静に自己分析をできた人が多いんじゃないかな。

 

だから、

人は走るし、結婚する。

音楽を聴いて、本を読む。

そして体を重ねて子供ができる。

 

不要なものを捨てて、

必要なものを取り入れる。

 

「居場所」を守るために費やしていた時間を、

自分のために使えるのだ。

 

どう考えたって、

自ら命を絶つ時の心境なんて冷静ではない。

 

冷静になったからといって、

すぐに「生きる」気力は湧いてこないけれど、

まずは「死ぬ」気力は湧いてくる。

 

そうなると「死ぬ」気力に生かされる。

 

中には二階堂奥歯さんみたいな例外もいるけれど、

多くの人は「死のう」と思って死ぬことはできないのだ。

 

だけれども、

これで終わりではないよ。

状況が変わったわけではないのだ。

 

ただ冷静になる猶予ができただけ、

 

「顕在的」な脅威に晒されることは減っても、

潜在的」な脅威はむしろ増えている。

ここから先の将来を楽観視している人は少ないだろう。

 

「リセット」

 

厳密にいえば「リセット」より「クリア」かな。

なんだか最近、私の生活はクリアされた気がする。

 

今まで積み重ねてきたものを棚卸して、

時間の使い方を整理整頓して、

これから先に進むべき方向を考えている。

 

これから先どうなるか。

それは誰にもわからない。

今は株価すらその指標にはならない。

 

人が人たるためにどう生きるのか。

否、自分が自分たるためにどう生きるのか。

 

そういうものを問われているのかな。

 

「ただ自殺者が減ってよかった」

そんなものは一時的なもの、

 

「これから先は自殺者が減っていく」

 

そんな確たる希望を持てるように、

この大きな騒動を機にして、

社会全体が大きく変わればいいのにな。

 

「多様性を認めよう」って同調圧力を感じる

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「一億総活躍社会」だとか、

ダイバーシティ」だとか、

セクシャルマイノリティ」だとか、


今の社会はやたらとマイノリティにスポットを当てて、

それをあたかも「社会の総意」のように扱う。


人は知らない世界に興味を持つから、

そういうものを扱うと数字につながるのだ。


「生きづらさ」


私もマイノリティな面は随分とある。

誰だってそうだろう。


そういうのって、

「個性」であるし、

ライフサイクルの一つなのだ。


当人だって多くの場合は、

奇異な目からの気遣いを望んでいないし、

一時的なものであれば、

のど元過ぎれば熱さ忘れてしまう。


特別扱いしすぎなんじゃないの?


「人とは違うのかも」


報道が過熱することによって、

かえって当人も不安になる。


アメリカはもともと「人種のるつぼ」

それに倣って日本は遅れているって、

危機感を煽ってさ。


文化が違うのだから、

価値観が違うのは当たり前だ。


「多様性を認めましょう」


当人たちはよろしくやっているよ。

それぞれでコミュニティを作ったり、

自身の課題として向き合ったりして、

うまいこと生きているよ。


それって同調圧力なんじゃないのかな?


かえってマイノリティを道化にしている。

この人たちは配慮の必要な「社会的弱者」なんですって、


そういうのって、

逆に差別なんじゃないかな。


ある妊婦さん、

「無理な時は休みますから気にしないでください」


周りが過剰な気遣いをして、

かえって気疲れをしてしまうらしい。

本人は無理のない範囲で働きたいのに、


「親切の押し売り」


ある中年で独身の童貞こじらせ男さん(わたし)


「相手はいるんですか?」

「結婚する気はないの?」

「結婚っていいものだよ」


放っておいてください。

結婚したくてもできないのです。


これはマイノリティに対する親切の押し売りなのか、

「結婚したほうがいい」って価値観の押しつけなのか、

どうも微妙なところだけど、

 

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もっとフラットに見るのがさ。

本当の意味での「多様性を認める」ってことじゃないの?


「特別な人」って見られたらさ。

そりゃ当人も身構えるよ。

「自分は人とは違うんだ」って、


身構えなくてもいい社会ってのが、

目指すべきもののはずなのに、

当人も周りも身構えることを強いるような報道ばかり、


情報って偏る。


知りたい人はどんどん調べて知識をため込むけれど、

興味のない人はとことん興味はない。


だから報道すればするほどに、

マイノリティに対する偏見が浮き彫りになる。

それにより同調圧力が生まれる。


きっとそういうもの、


「声にならない声」


それを世に届けるのが政治の仕事であり、

ジャーナリズムの本質だ。


間違っちゃいないけどさ。

人気取りや数字のために使わないでよ。


声の大きい人がそれを叫ぶほどに、

マイノリティの居場所は奪われるのだ。


もう一度書くけれど、

「マイノリティ当人が身構えなくてもいい社会」ってのが、

目指すべきものなんじゃないかな。


今回の騒動みたいなときは、

日本人の同調圧力の強さって、

かなりの強味にもなるんだけれども、

どうにも極端だ。


「右向け右」「左向け左」

「どうして左を向いてるの?今は右を向く時でしょ?」って、

そんな感じ、


私にすれば、

「真ん中はないの?」って、

そう思う。


放っておくことも優しさなんだよ。


「大丈夫?」

「無理していない?」


いい人に見られたいのはわかるけどさ。

いや本当にいい人なんだろうけどさ。


そればっかりに命懸けていると、

当人が「声を挙げる」勇気を奪うことにならないかい?


そんなことを言うと、

人気取りのために当人が「声を挙げる」ように仕向ける、

そんな政治家さんが出てくるのだけれど、

 

結局はそういうのって、

人を道具として見ているのだ。

 

病理は全てそこにある。

美容師・理容師の方たちを応援したい ~コロナに負けるな⑪~

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久しぶりに髪を切った。

家計簿を見てみたら3か月ぶりだった。

 

普段は1か月半ほどで切りに行っているから、

ちょうど倍の期間が開いたことになる。

 

平日の昼休みの時間帯だ。

いつもよりは混んでいなかったけれど、

それにもかかわらず列が途切れることはなかった。

 

この日は女性店員が多いようだ。

だけれども私を担当したのは4人のうち1人だった男性店員、

どうやらこんなところでも女性に縁がないようだ。

 

「今日はカットだけで」

 

私を含めてほとんどの客はそう注文していた。

どうやら顔剃りは感染防止のためサービスを注視しているらしい。

そうなるとシャンプーもいいやってなる。

 

「全部」か「カットだけ」

「シャンプーカット」という言葉は、

自然な流れで注文するには少しこじゃれているのかもしれない。

 

「混んでいますね」って聞いてみると、

客数は少し減ったくらいでそこまで変わらないという。

 

だけれどもカットだけで、

手早く済ませる人がほとんどだから、

単価は大きく落ち込んでいるようだ。

 

当たり前のことなんだけれど、

髪を切るときに頭に触れられる。

 

普段は何気なくしていたことだけれども、

これって感染リスクの高い行為なのだな。

 

人とのふれあい。

こんなにも毎日途切れることなく多くの人と接する。

それこそ文字通り「接する」のだ。

 

一人だけ美容師をしていた知り合いがいたけれど、

閉店後は夜遅くまで練習をしているといっていた。

モデルのリクルートは自分でするらしい。

 

「美容師」

 

その響きは華やかなものだけど、

見えないところでたくさんの下積みを行っている。

 

影の努力が報われて立つ店頭、

今はそれに加えて普段以上の配慮を求められる。

そして店員だって「不安」を抱えている。

 

元気に明るく迎えてくれる声、

こういう時だからこそ、

その声に救われる人もいる。

 

人と接する機会が少ないから、

今はみんな、

誰かを通して自己肯定感を高めることができない。

 

そんな時にかけられる、

「いらっしゃいませ」の一言、

なんだか受け入れてもらえたような気がする。

 

繊細で緻密な作業だ。

少し間違えたら取り返しのつかないこともある。

そうならないように技術を磨いてきた。

誰にも見えないところで黙々と、

 

もちろんお客さんありきなのかもしれないけれど、

「髪を切る」って「自分の美意識」と向き合うことなのだろう。

きっとそれって傍から見るよりも神経を使う作業だ。

とても大変な作業だ。

 

だから負けるな。

美容師・理容師の方たち、

コロナに負けるな。

 

そういえば中学で仲の良かった女の子、

その後どうなったのかは知らないけれど、

「美容師になりたい」と言っていたな。

 

きっと「美容師」って、

夢を与える仕事でもあるのだ。