何気ない日常における違和感、
それに気が付くことで視野が広がる。
そういう癖をつけることが大事、
そこからビジネスチャンスが広がるという。
そういう記事を読んで、
「なるほど」と思うと同時に、
それにも「違和感」を感じた。
敏感になりすぎると、
どうにも「生きづらい」と、
そう感じてしまう。
先日記事にした、
吉本ばななさんの『哀しい予感』
そのテーマは「知らなくていいことなど何一つない」
過去の傷と向き合ってそれを受け入れていく。
人生を先に進めるためにその作業の重要さを描いていた。
それってしんどいことだな。
つくづくそう感じる。
どちらかといえば、
「知らないほうが幸せなこともある」
私の考え方はそっちよりだ。
だけれどもそれって、
GLAYが『サバイバル』で歌うところの、
「極上のスパイス」を味わっていないことになるのかな。
私は臆病だ。
チャンスがあってもいざとなると、
一歩を踏み出せずにそれを逃してしまって、
傷ばかり増えていくことになる。
どうせ傷が増えるのならば、
一歩踏み出したほうがどれだけよかったか。
そう後悔したことは数えきれない。
だから「違和感に敏感になること」
そして「違和感に気が付いても自分の希望をかなえる強さを貫くこと」
それはセットで必要なことなのかもしれない。
敏感な人ほど臆病だ。
周りの気持ちや行く末を察知してしまうから、
チャンスって「はぐれメタル」みたいなもの、
考えを巡らせているうちに逃げてしまうのだ。
見つけたらイチかバチかの「魔人斬り」
別に外れたって逃げられるだけだ。
何もしなくても逃げられるならば、
行動を起こしたほうがいい。
「人の痛みに敏感なこと」
もともとは人の痛みに、
そして自分の痛みに鈍感だった私が、
ある出来事を境に手に入れたものの一つ、
それを大事にしながらも、
「チャンス」に対しては貪欲に、
そう生きていくしかない。
周りの幸せばかり考えて、
自分の幸せを蔑ろにしていたら、
自分だけが取り残されてしまうのだ。
自分の居場所は自分で確保するしかない。
運が良いとか悪いとか、
そういうことばかりに囚われているのって、
誰かのせいにして自分が楽をしようとしているだけ、
私の性質としては難しいことなのだけれども、
貪欲に向き合うしかないのかな。
どうも理性的に振る舞ってばかりいると、
自分の希望することまで分からなくなってしまう。
「違和感」
それってきっと、
自分の生き方にそぐわないから感じる物、
ダメで哀れで欲望に正直な自分、
その先にあるものがオブラートに包まない、
本当に自分の求めているものなのかな。
例えそれがどんなに醜いものだったとしても、