報道されていたけれども、
今年の4月は自殺者数が前年比でかなり減ったらしい。
警察庁の発表によると、
1814人 → 1455人
約19.8%減となった。
人数にして359人、
結構な数だ。
「なんだかわかる気がする」
多くの人はそう感じているだろう。
要因の全てではないだろうけれど、
コロナ禍が大きく影響していることは間違いない。
ストレス要因の大半は人間関係、
今の世の中は人と人との距離が近すぎるのだ。
何をするにも周りの目ばかりを気にして、
組織においては忖度を強いられて、
居場所を確保するために、
自分を殺している。
日常的に精神的自殺を繰り返しているのだ。
そんなことをしていたら疲弊するのは当たり前、
加えて春先は自律神経が乱れやすくメンタルを崩す人が多い。
だいぶ落ち着いたけれど私もそうだった。
4月は希望に満ち溢れた「出発の月」であると同時に、
不安の多い時期でもある。
そしてその不安は、
「潜在的」なものではなくて、
目の前に突きつけられた「顕在的」なもの、
毎日重い足を引きずりながら満員電車に乗り込んで、
職場や学校に着いたら着いたで、
すぐに役割を演じないといけない。
「居場所」を守るために、
みんなそういう生活に嫌気がさしているのにね。
みんなに合わせて文句を言いながらも続けている。
なんともお偉いことで、
テレワークを続けてみて、
「通勤時間って本当に必要?」って、
とてもそう感じる。
可能な職種ならば、
基本は在宅にして、
必要な時は出社すればいいのに、
往復で考えて、
一日のうち1時間から2時間、
多い人だと3時間を超える。
「私にとって通勤時間は至福の時なの」
そんな人はいない。
おそらく大多数にとっては苦痛に耐える時間だ。
その時間を生産性向上に充てればいい。
そして人生の充実に充てればいい。
決まった時間から決まった時間まで、
オフィスにいなければならない。
もちろんそれが必要な職種もある。
だけれども多くのオフィスワークって、
それよりも成果を求められるべきなんじゃないかな。
例えば10時間かけて80点の成果物を作成する。
かたや20時間かけて90点の成果物を作成する。
今の日本では後者が評価されることが多いだろう。
だけれども本当にそうなの?
前者は後者と同じ時間をかけたら、
80点の成果物を2つあげられる。
実際は多くの場合で、
前者のほうがコスパがいいんじゃないかな。
そもそもがおかしいのだ。
話がそれたな。
自殺の話だった。
戻そう。
「コロナ禍」
もちろん起こらないに越したことはなかった。
だけれども、
それが社会に問いかけることは少なくない。
少し環境を変えてみて、
冷静に自己分析をできた人が多いんじゃないかな。
だから、
人は走るし、結婚する。
音楽を聴いて、本を読む。
そして体を重ねて子供ができる。
不要なものを捨てて、
必要なものを取り入れる。
「居場所」を守るために費やしていた時間を、
自分のために使えるのだ。
どう考えたって、
自ら命を絶つ時の心境なんて冷静ではない。
冷静になったからといって、
すぐに「生きる」気力は湧いてこないけれど、
まずは「死ぬ」気力は湧いてくる。
そうなると「死ぬ」気力に生かされる。
中には二階堂奥歯さんみたいな例外もいるけれど、
多くの人は「死のう」と思って死ぬことはできないのだ。
だけれども、
これで終わりではないよ。
状況が変わったわけではないのだ。
ただ冷静になる猶予ができただけ、
「顕在的」な脅威に晒されることは減っても、
「潜在的」な脅威はむしろ増えている。
ここから先の将来を楽観視している人は少ないだろう。
「リセット」
厳密にいえば「リセット」より「クリア」かな。
なんだか最近、私の生活はクリアされた気がする。
今まで積み重ねてきたものを棚卸して、
時間の使い方を整理整頓して、
これから先に進むべき方向を考えている。
これから先どうなるか。
それは誰にもわからない。
今は株価すらその指標にはならない。
人が人たるためにどう生きるのか。
否、自分が自分たるためにどう生きるのか。
そういうものを問われているのかな。
「ただ自殺者が減ってよかった」
そんなものは一時的なもの、
「これから先は自殺者が減っていく」
そんな確たる希望を持てるように、
この大きな騒動を機にして、
社会全体が大きく変わればいいのにな。