「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「女心と秋の空」っていうじゃない?

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自分で言うのもなんだが、

私は「空気が読めるタイプ」だと思う。


周りの関西人たちからは、

「ボケ」も「ツッコミ」もどちらもいけると、

太鼓判を押されている。


ビジネスの場においては、

初対面の相手にも物おじせず、

ウィットを効かせて笑いを取るところから関係を築く。


それにより「やりやすくなる」ことを知っているからだ。


とまあ、まずは自尊心を保つために、

自分で自分を持ち上げておこう。


しかしながら、

「女性関係」についてはからっきしダメだ。


接していて「このまま関係が進むかな」だとか、

そう感じることはあるけれど、

いつも全くの的外れなのだろう。


周りに話したときに、

「今回はうまくいきそうだね」って、

そう言われる事は少なくない。

だけれどもうまくいかない。

 

私の状況報告が不正確なのだろうか。


「空気が読める」と自負している私、

「女性の気持ち」は全く読めていない。


今回にしてもアプローチは向こうからだった。


正直、進むかどうかは「私次第なのかな」って、

そう思っていた。


そして迷いながらも、

私は「次のお誘い」をした。

 

そして「楽しみにしている」と、

そう返事を受けた。


去年の夏に心を奪われた「雨女さん」にしても、

初対面にして意気投合、


向こうから「電話をしたい」って言われて電話をしたり、

「ますをくんと会えるのを楽しみにしていたから今日は仕事を頑張れた」

そんなことを言われて、

その日は手をつないで帰った。


しかし、

それが最後に会った日となった。


更に一昨年の出来事、

明らかに「誘って欲しい」雰囲気、

そう私が思った女性がいた。


どうでもいい「好みの食べ物」にまで、

私の話には不自然なくらい同意するし、

私の隣に座るとスマホをテーブルの上に置いて、

これ見よがしに何度もいじりだす。


連絡先を交換したかったのだろう。

そして勇気を出して、

私のほうから食事の約束を取り付けた。


ところが私は病気にかかり入院、

その約束を果たすことはできなかった。


その1ヶ月ほど後だろうか。

彼女は結婚したそうだ。

 

あれは「マリッジブルーの穴埋め」

ただそれだけだったのだろうか。


他にも、

未だに近況報告の来る「思わせぶり女」や、

スポーツジムで声をかけてきたパーフェクトボディの女性、


私が「同じ種類の人間だな」と感じた、

私と二人きりになろうとした仕事関係の子、


合コンの席で、

私が他の人ばかりに話を振っていると、

食い気味に私に「彼女の有無」を聞いてきた同い年の美女、

 

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ここ4年くらいの「チャンス」

それを振り返ると枚挙に暇がない。


「一つくらい」はうまくいっても良さそうなのだけれども、

「一つも」うまくいかないのだ。


そういう星のもとに生まれてきたのだろうか。


それとも、私が何でもないことを、

「チャンス」だと妄想しているだけなのか。


もはや私は「空気が読める」だなんて、

そんな恥ずかしいことは口が裂けても言えない。


「脈あり」のサイン、


隣に並んだ時の「距離感」の近さや「熱感」

確かにそういうものを感じる。

 

だけれども、

それを感じたときの私の態度に、

相手は「脈なし」を感じて不安になるのだろうか。


心の中では「飢えている」と言ってもいいくらいに、

女性を求めている。


「ペルソナ」の被り方ばかりうまくなって、

相手に気持ちが伝わらないのかもしれない。


「好き」のサイン、


いつだって私は誰かのサインを待つばかり、


「婚活」は別としても、

日常生活で私から誰かを好きになる経験は、

もう10年くらいしていないかもしれない。


相手との関係性ばかりが先行して、

「燃え上がるような気持ち」は湧いてこない。


「女心と秋の空」


私はこれまでの経験から、

「女性は気まぐれ」だと思っている。

 

だけれども、

相手からすれば「アプローチ」をしては見たけれど靡くそぶりがない。

そんな私に愛想を尽かしているのかもしれない。

 

「私の心がわからない」

「わからない」のは私のほうなのかもしれない。


世の男性たちに対しては、

そういう曖昧な「アプローチ」で十分なのだ。

すぐに「男らしく」お誘いでもしてくれるのだろう。


しかし残念ながら私には経験がないのだ。


「あいまい」なところから、

不確かな自分の心を抱えたまま、

「男らしく」お誘いすることなんてできない。


いつだって明確な「アプローチ」ではなくて、

「アプローチ」らしきもの、

それをわかりやすく言葉にしてくれる女性はいない。


さて、

今の私は傷心中だ。


世の女性たちよ。


「春日のここ空いていますよ」って、

私は脇のあたりを指さしながら、

そんな叫びをあげるところから始めたらいいのかな。


「温もりが欲しい」季節、

その気持ちに素直になろう。

 

いくら証明を試みたところで「恋愛」に正解はない

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使い古されたテーマだ。


ラブストーリーは突然に

恋は雨上がりのように

『理系が恋に落ちたので証明してみた。』


「恋愛の数奇性」

それをテーマにしたものは数知れない。


ロマンスとはかけ離れているけれど、

斬新な切り口で「愛」を取り扱う作品もある。


藤沢数希『ぼくは愛を証明しようと思う。』


「恋愛工学」という言葉の生みの親、

藤沢数希氏の代表作だ。


冒頭「東京の街は僕らのソープランドだ」

そんな表現から始まる「恋愛攻略もの」

そんなジャンルだろうか。


非モテ高スペック男が、

交際相手の裏切りを機に一念発起して、

恋愛テクニックを学び「やりまくる」

そこに虚しさを感じてボロボロになったところに・・・

というストーリーだ。


「愛など幻想にすぎない」と証明しようとしたところで、

結局その正体にはたどり着けない。

そんなパラドックス


その不確実なところに、

作家が「恋愛」をテーマとしたがる理由があるのだろう。


「愛」だの「恋」だのをテーマにしていれば、

「起承転結」を作りやすいのだ。


かく言う私も、

そうやってブログを書いている。


一切姿の見えない私が、

こうやって「童貞」気取って、

ブログを2年半も書いているけれど、

本当は作家志望の「既婚者」かもしれない。


もしくは「婚活」など一切していなくて、

ただの引きこもり50代独身の「喪男」かもしれない。


はたまた、

やけに女性的な文章を書くので、

「心は男」でも「体は女性」のレズビアンかもしれない。

それならばパートナーがいたとしても、

「童貞」であることに偽りはないことになる。


なんともまあ面白いものだ。


そういうミステリアスなところに、

「おかしみ」があるのだろう。


時折湧きたっては、

いつだってうまくいかない私の恋愛、


その様はもはや創作じみている。


いつもいいところまで行って、

こんなにうまくいかないことがあるのだろうか。


多少のタイムラグや脚色はあるにしても、

私は「私の状況」を客観的にありのままに描いているつもりだ。


「落ちがない」


私の物語はいつまで経っても結論に至らない。

まるで私がそれを避けているようだ。


ジャンプの人気漫画のように、

編集者に引き伸ばされているわけではない。


「恋愛」に「正解」のないものだけれども、

それにしたって「結論」は出る。


いつだって私はそれを先延ばしにしているのだ。

そのくせ「報われない恋」ばかりをしていると嘆く。


「覚悟」も見せないでさ。

相手に結論を委ねているのだ。


そんなものは「優しさ」でも何でもない。

私の「優しさ」はただの保身、


「不正解」のレッテルを貼られることを恐れて、

相手を「値踏み」しては一進一退を繰り返す。


そんなことをしたって、

何一つ先のことなんてわからないのにね。


「性欲」に突き動かされない「理性」


そういうものがややこしくしているのかな。

いくらか「結論」を出して経験を積んでいたら、

ここまでこじらせることはなかったのだろう。


さて、表題の通り、

いくら私が私の恋愛をこうして俯瞰したところで、

それは一種の「エンターテインメント」にすぎないのだ。


「道化」に成り下がっている気がする。


私は本当に、

誰かと一緒に人生を進んでいきたいのだろうか。


それは誰にも証明できない難問だ。

 

「恋愛関係」なんてものはエゴとエゴとのぶつけ合い

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「期待」


相手に対する期待値が、

相手のそれを上回った分だけ、

「失望」に変わる。


「恋なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲーム」

いぇーーーえー。

 

って、

ミスチルもそう歌っている。


自分と相手の「期待値」が、

大体同じくらいで推移して、

その関係がしばらく続いてやっと交際に至る。


交際してからも、

その「期待値」を互いに探り合って、

高止まりしている時もあれば、

地に落ちている時もある。


不思議なことに「地に落ちている時」でも、

お互いがお互いに関心があるならば、

意外と関係性は崩れることが少ない。


人は変化を嫌う生き物だから、

慣性の法則」に従って、

ズルズルと関係を続けるのだ。


あまりにも互いの「期待値が低い状態」が長引くならば、

その期間と相手との関係性を天秤にかけて、

「別れ」を選択するのだろうけれども、


「結婚してくれないの?」だとか、

「触らせてもくれない」だとか、


結局、最後はどちらかの期待値が高まって、

相手がそれに応えることを拒んだ結果、

終局を迎えるのだろう。


だから「期待値の差」

そこに関係継続の肝がある。


女性が男性パートナーに対してイライラする場面、


「感情をぶつけたときに相手が黙り込む」

というもの、


基本的に男は、

自分の感情を言語化することが得意ではないから、

アウトプットの方策を探っているうちに、

女性から2の手、3の手が来るのだ。


そうこうしているうちに、

言葉が出なくなる。


「何か言ったらどうなの?」って、

そう言われた時点でもはや戦意喪失なのだ。


感情的になってもいいことはないけれども、

感情が絡まったときには「話し合い」が必要、


フラットに言い合える環境、

それを互いが提供しあうべきなのだろう。


そして、

そこにも「期待値の差」が見え隠れする。


女性の求める「男らしさ」

そして男の求める「女らしさ」


ベクトルの方向はほぼ真逆かもしれないけれども、

同じ力で引きあっていないと、

一方に引きずられてしまうのだ。


その均衡が崩れるほどに、

「こんなはずじゃなかった」って、

「失望」が生まれる。


そのたびにエゴをぶつけて、

エゴをぶつけ返される。


「身近な人」だからこそ、

「醜い部分」を見せあえるのだ。


パートナーが「身近な人」ではなくなったら、

それこそ感情のやり場が無くなってしまう。


「ケンカばかり」だって嘆くけれども、

「ケンカ」が続く限りは大丈夫なんじゃないかな。


だけれども気をつけなければならない。


その人とこの先も一緒に歩む未来が見えないのであれば、

きっとその直感は正しいのだ。


自分が一方的にエゴをぶつけていたり、

相手からのエゴを一方的に受けていたり、


そこに「等価交換」がなければ、

その関係は破綻している。


私はいつだってグッと堪えて、

相手のわがままを「作り笑い」で受け止めるばかり、


相手の気持ちばかりを先回りして慮って、

だから相手は「裏があるんじゃないか」って、

不信を感じて逃げていくのだ。


「もっとわがままを言って欲しかった」


去年言われた別れ文句、


「体の良い言い訳」くらいに思っていたけれど、

案外、的を得ているのかもしれない。


私は「誠実」であることにこだわりすぎているのかな。

 

それとも、

「作り笑い」と思われてしまう、

器の小ささに問題があるのかな。


私の「エゴ」をぶつけるのが苦手なところに、

天敵である「恋愛」に対する勝機があるのかもしれない。


そもそも「恋愛」を天敵とみなしている時点で、

ズレている気がする。

 

「恋愛」は本来楽しむものだ。

そして「結婚」は必ずしなければならないものではない。

 

だけれども私はそれを求めてしまっている。

そして私は「恋愛」がとことん苦手だ。

 

求めるものを得るためには避けては通れない。

やはり「恋愛」は「人生の天敵」なのだ。

 

【2020プロ野球】ペナント終了!お疲れさまでした!

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セ・リーグがレギュラーシーズンの全日程を終え、

無事に幕を閉じました。


120試合、

ホントによくもまぁできたものです。

陰で奮闘して下さった方がたくさんいるのでしょう。


今年は半ばあきらめていましたが、

私も2試合に参戦することができました。


どちらも別の友人と行ったのですが、

口々に「やっぱり野球っていいよね」との感想、


コロナ禍での野球、

とてもいい経験でした。


我がスワローズは前半こそ奮闘するも、

後半は希に見る大失速で、

終わってみればダントツの最下位、

 

それも2年連続です。


「新監督初年度は強い」

「下馬評の低い年は強い」


そんなジンクスはどこ吹く風、


前半の強さに夢を見ただけ、

ファンの失望は大きいシーズンとなりました。


失速の原因は「層の薄さ」

これに尽きます。


序盤は水物の打線をけん引した、

坂口や山崎、西浦、それに山田哲人

不調に陥るや否や代わりの選手が出てきませんでした。


調子が悪くても使い続ける。

代わりの選手がいないからなのですよね。


投手陣はさらに悲惨、


先発投手がゲームを作れずに、

中継ぎ陣に負担がかかり、後半は投壊状態でした。

序盤リードをしていてもひっくり返される。

どうしたら勝てるのかわからない状態、


7-0から逆転された試合は象徴的です。


FAでの主力流出濃厚、

進む野手の高齢化、


どこから手を付けたらいいのかわかりませんが、

真っ先に意識を変えないといけないのは、

フロントと指導者でしょう。


ドラフトでの育成枠4人指名、

人気選手を容赦なく戦力外にするなど、

編成への意識改革が見て取れます。


やはり「勝てるチーム」でないと、

ファンも選手も気持ちが離れてしまいます。


「劇薬」が必要な時期なのかもしれません。


さて、スワローズはさておき、

残すはパ・リーグのCSと日本シリーズです。


今年の巨人は見事なチーム作りをしました。


育成選手や下位指名選手の躍動のみならず、

ウィーラー、高梨をピンポイントで当てる。

悔しいですが、

原全権監督の手腕によるところが大きいでしょう。


ただそれ以上に、

ロッテの優勝を目指す姿勢が素晴らしかった。

スワローズが見習うべきはこの姿勢です。


ソフトバンクが来れば素直に巨人を応援しますが、

ロッテが来た場合はそちらを応援したいと思います。


野球ファンの皆さん!

1年間お疲れさまでした!

「お断り」されてしまいました

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3度目に会ってから、

4度目の約束を控えていましたが、

レスポンスが悪くなっていたので覚悟はしていました。


次の約束時の彼女のメッセージ

「私も楽しみにしています」

その言葉は社交辞令だったようです。


だけれども、

これ以上自分の気持ちを確かめる必要がないことに、

どこか「ホッ」としている私、


やはり私は彼女の「若さ」に、

惹かれていただけなのでしょう。


そんな不誠実な関係は終わってよかった。


さて、これで今年も「クリぼっち」確定か。

ここ10年くらいは女性との約束はありません。


通常運転です。


今回感じたことは、

「違うかな」と思う相手とは、

なるべく早くに会うことを辞めないと失礼だということ、


「対面での食事が楽しくない」

それは1度目のデートから感じていたこと、


だけれども、

私は相手の「若さ」に舞い上がり、

相手の良い部分だけを見るように努めていたように思います。


自分の「気持ち」や「好み」を、

言語化することが苦手なようでしたので、

気を使って話題を振り続けていても、

手応えのないことばかりでした。


とまあ、

「負け惜しみ」です。


私は「若い」あの子にフラれたのです。

受け入れられなかったのです。


「まだまだ若い子からも対象として見られる」だなんて、

意気揚々と張り切っていましたが、

私が見ていたのはあの子の「若さ」

そしてあの子が見ていたのは「私」ではなく「結婚」


極端に出会いが少ないらしく、

「結婚」に焦っていたとのこと、


しかしアプリでもうまくいかず、

私が初めて会った人だったようです。


「この人を逃したらもう結婚できないかも」

そんな強迫観念があったから私に会い続けていたのでしょう。


若い女性とデートを重ねられただけ、

ありがたく思うべきか。

費用のあまりかからない「パパ活」のようなもの、


また振出しに戻りました。


どうしたものか。

今回もまたうまくいきませんでしたとさ。


おしまい

 

「幸せじゃない」と思われたくない女性たち

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随分前のことだけれども、

学生時代にバイト先の女の子から、

色々と相談をされていて食事に行った時の話、


確か「家庭の悩み」だったかと思うのだけれども、

話の結びに言った私の一言、

「幸せになってもらいたいと思っているよ」


その言葉が地雷だった。

「別に私は今でも幸せですよ」


そう返されたときには手遅れだ。

相手は明らかに不機嫌なまま別れたことを覚えている。


「幸せじゃない」


どんなに悩み苦しんでいたところで、

女性は周りからそう思われたくない生き物なのだ。


インスタ映え」なんてものはその象徴だ。


「港区在住」だとか「外資系大手勤務」だとか、

そんな経歴と共にアップされるキラキラした写真たち、


まるで自分は幸せな星のもとに生まれてきて、

悩みなどないかのように振舞っている。

 

少なくとも外から見える範囲、

オンライン上では、


「セルフブランディング


自分で自分の価値を高めようとする。

それにより高まる自己肯定感、

 

そういうものは確かにあって、

それは割と効果的だ。

 

だから、

そこで終わっていればいいけどさ。


背伸びしすぎた生活を維持するために、

あの手この手で「きらびやかな自分」を仕立て上げる。

 

そうなってしまったら、

その効力はオンライン上限定だ。


そこに命懸けるようになって、

どの自分がリアルなのかわからなくなる。

 

「羨ましがられる自分」

 

そこに軸足を置くあまり、

その価値観に引っ張られて、

理想と現実のギャップを突きつけられないように、

「偽りの自分」を演じることが生きがいになる。

 

そしてお金が尽きたところで、

「ジ・エンド」だ。

どう考えてもバッドエンドにしかならない。


人はどうして、

周りの評価ばかりを気にするんだろうね。


私の「婚活」にしたってそうだ。


私は「若くてきれいなトロフィーワイフ」を、

求めているだけなのかもしれない。


それまで変にチャンスばかりが、

目の前に転がってきたものだからさ。


「自分はまだ男としていける」って、

期待ばかりが大きくなって、

「違う世界線の自分」ばかりを追い続けている。

 

結局チャンスは一つもモノにできなかったのだ。


何とも惨めなもの、

それどころか紳士気取った不誠実なクソ男、


「幸せじゃない」と思われたくない。

それは女性だけではなく男も同じなのだな。


つくづく自分が嫌になる。

気持ちが悪い。

 

簡単なことだ。

私は自分のことを幸せだと思ってはいないのだ。

手に入らないものばかりに囚われている。

 

自分で自分を認めてあげられていない。

だから私は不幸なのだ。

 

「何かをしたい」という意思を持つということ

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「意思の力」というものは、

なんとも侮れないものだ。

 

それがあるだけで、

「生きる糧」としては十分なものになる。


「生きる」だけでも兵糧は必要なのだ。

それは「物理的」なものではなくて「精神的」なもの、


「どこに行きたい」

「誰といたい」

「何をしたい」


人類は長い時間をかけて、

「コミュニティへの所属」と「自由」

 

その両立を掴み取ったものだから、

「意志」を示すための選択肢は多岐にわたる。


そして今やテクノロジーの発達により、

「意思」を貫くための道具はたくさん用意されている。


だから「目的」を見失わないこと、


人は「感情の奴隷」だと言われるけれど、

「感情」に従いすぎると一貫性を失ってしまう。

 

そうなってしまったら、

結局は言われるがまま、

流されるがままに、

誰かの人生を生きていることになる。


「何かをしたい」


それは決して「刹那的」なものではなくて、

「そこに近づいている」という実感を得られるものでなければならない。


その「実感」を日々積み重ねることが、

「生」を確かなものにしてくれるんじゃないのかな。


とても不思議に思う。


私の中であれだけこだわっていた

「恋愛」だの「結婚」だのへの興味が急激に薄れている。


悩み始めてから4年くらいだろうか。

もう悩み尽くしたのかな。

 

今ではもう「誰でもいい」だとか、

「できなくても仕方がない」

それくらいにまで落ちている。


どんなに燃え上がっていたとしても、

人の気持ちなんてものは、

そんなに長いこと続かないものなのだ。


10年、20年と続くもの、

そこには「感情」を超えたものがある。


「生きがい」「目的」「習慣」

一日一日の積み重ねが「人生」を作るのだ。


「感情」には燃料が必要だ。


その燃料が尽きて初めて、

「生き方」というものが見えてくるのかな。


ただ心配なことがある。


燃料が尽きてしまった後で、

私は何を元手にしてブログを続けるのだろうか。

 

それとも、

それが尽きてしまったら、

もうブログを書く必要はなくなるのかな。

 

「恋愛」だの「結婚」だの、

それを糧にして描き続けていたけれど、

あまりにも私の人生との相性が悪すぎて、

ハッピーエンドは見えてこない。

 

せっかく描き続けてきたブログだ。

 

終わらせるならば、

「きれい」に終わらせたいと思うけれど、

それは叶わぬことなのかな。

 

そんなことを考えながらも、

「世界に対する興味」は尽きない。

ストックは山ほどある。

 

こうして今日も、

「自らの意思だ」と言い聞かせて、

私はブログを更新し続けるのだ。