「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

【プロ野球2021】古田臨時コーチ躍動!

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今年のスワローズのキャンプは一味違います。

あの古田敦也氏が臨時コーチとして参加していました。


広報も力を入れていて、

古田氏の動画をアップ、

いつになく注目された中でのキャンプとなります。


スワローズのユニフォームを着てブルペンに座り、

石川や小川の球を受ける。

そして昨日は奥川まで、

ファンからしたらそれだけでも感動モノです。


一昔前までは、

球団と古田氏の間に確執があると噂されていましたが、

数年前からイベントに姿を見せるようになり、

「現場復帰が近いのでは」との声も増えていました。


今回の臨時コーチは、

盟友である高津監督からの立っての希望とのことですが、

2年連続の最下位に沈む古巣を見ていられなかったのかもしれません。


もちろん期待はしていますが、

高津監督は2年契約の最終年となります。


もし今年も思うような結果とならなければ、

おそらく来年はないでしょう。


古田臨時コーチ招聘はそうなった場合の布石、

と言うのは考えすぎ、、かもしれませんね。


高津監督の手腕、


昨年の前半戦は見事に結果を出しました。

とにかく明るくて盛り上げる。


選手と共に笑い、そして泣く。

そんな人情派のモチベーターという印象です。


純粋にチームとしての力ば足りずに、

後半は大失速となりましたが、

それは監督だけの責任ではありません。


今回は満を持してのオフを経て、

充実のキャンプを送っています。


特に捕手陣は連日の「古田塾」で、

野村イズムを叩き込まれているようです。


チームとしてバッテリー強化が最大の課題ですからね。

ここが一皮むければ上位も見えてきます。


古田さんから見たヤクルトの投手陣、


「1イニングならば十分に通用する選手はたくさんいる。

だけれども1試合となると打たれるだろうなと思う」

そう語られていました。


先発のコマ不足、

先発が試合を作ることができないから、

リリーフ陣の負担が増えて、

シーズン途中で息切れしてしまう。

ここを解消しないとどうしようもありません。


そのためには「捕手力」

投手の調子が悪くても誤魔化しながらイニングを食っていく。

それは捕手の仕事でもあります。


先発の立て直し、

シーズンまでにどこまで進められるか。

楽しみです。


さて、他のキャンプ模様、


残念ながら3人のメジャーリーガー来日は遅れそうですが、

残留したナイスガイなマクガフ、

そして毎年ケガしがちなスアレスは休日返上での練習、

充実しているようです。


ヤクルトは伝統的に外国人のスカウティングで勝ってきた。

そういう側面がありますからね。

戦力の上積みとしてはここに期待せざるを得ません。


スアレスは投げられれば安定していますし、

昨年はソフトバンクから阪神に移籍した兄が大活躍でしたからね。

刺激は受けているはずです。


先発の柱として、

今年こそはシーズン通してローテを守って欲しいです。


古田臨時コーチの参戦により、

大きなインパクトを受けたスワローズ、

 

10日間という短い期間でしたが、

バシバシと鋭いツッコミを入れられて、

大きく意識の変わる経験だったのではないでしょうか。

 

もう少しでオープン戦が始まりますね。

今年も無事にシーズンを終えられることを願って、

 

話題のアプリ「Clubhouse(クラブハウス)」について思うこと

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最近よく目にするようになったアプリ、

気になったので調べてみた。


機能

・roomと呼ばれるグループ内で音声やチャットでのやり取りができる。

・完全招待制で招待されないとアプリ自体を起動できない。

・「音声の記録」は禁止されている。

・現在はiOSのみ対応している。


アプリを立ち上げると[room]と呼ばれるコミュニティが表示され、

そこに入ることでそこでの会話を聴講できるようだ。


[挙手]をして主催者に承認されれば、

自分も会話に参加できるらしい。


著名人の参加が増えているらしく、

そのオフレコのない「生の声」を聴けることで、

人気を博しているようだ。


著名人からすれば、

今の世の中はすぐに「炎上」するから、

ある種「閉鎖された空間での自由な発信源」として、

需要があるのかもしれない。


「完全招待制」と言うのがまた拍車をかける。

「特別感」の演出にうまく寄与しているのだろう。


だけれども外部機能や媒体を用いれば、

録音も文字の記録も容易にできるはず、


スクショを撮られたり、

音声を別の機器で録音されたら防ぎようがない。


「閉鎖空間」を演出していても、

結局は「閉鎖されてはいない」のだ。


なにやら「FaceBook」勃興の頃に似ているけれど、

人はインターネット空間における「虚構」に辟易して、

その中に「リアル」を求めているのかな。


だけれども、

それも所詮は「虚構」なのかもしれない。


「婚活」をしていて感じたけれど、

文字や音声でのやり取りと、

実際に会った印象では180°とは言わなくても、

135°くらい違うことは珍しくない。


人類はオンラインに生活のリソースを移した結果、

そこで「見られること」を意識するあまり、

「自分を飾る術」を身につけたのだ。


これを書いている私だって、

実際のところどこの誰かもわからない。


既婚で不倫を繰り返す「ゲス男」かもしれないし、

「処女こじらせ女」かもしれない。

 

詰まるところ、

「話半分」くらいがちょうどいいのだ。


だけれども、

ある程度の分量の記事を読んでいると、

その文章から「人となり」は見えてくる。


オンライン上での「設定」や「容姿」はともかく、

「こういう人なんだろうな」って、

そういうものが見えてくる。

 

経験上、

そういう印象は会ってからもあまり変わらないもの、


「設定」や「容姿」に縛られていると、

本質を見失ってしまう。

人間そんなにかっこいいところばかりではないのだ。


忘れてしまいがちだけれども、

基本的に人はオンライン上には、

良い面ばかりをアップする。

 

承認欲求を満たすことが目的だからだ。

実名を出していれば尚更だ。

 

それを認識した上で付き合っていく。

そういう「リテラシー」が、

ネット上の付き合いでは必要なんじゃないのかな。


「Clubhouse(クラブハウス)」


イベントは中止が相次ぎ、

自粛を余儀なくされているものだから、

うまいことオンライン上の「リアル」という需要に刺さりそうだ。

これからどんどん勢力を伸ばしていくのかな。

 

だけれども、

そういう便利なツールとは、

節度を持った付き合い方だけは忘れてはならない。

 

デート代の男女負担割合について

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相手との関係性にもよる。

そして正直なところ相手に対する本気度にもよる。


私は童貞だけれども、

この手の金銭感覚は人並みであるつもりだ。


自分で自分のハードルを上げたうえで、

表題の考察をしてみる。


昨年まで婚活をしていたものだから、

休止していた期間を除くと、

実質10ヶ月ほどで17人の女性たちと出会いを重ねた。


デート回数で言えば、

述べ30回弱に及ぶと思う。


知人から紹介された人もいたけれど、

多くはアプリでの出会いだ。


カジュアルな婚活、

気に入らなければすぐに切れる関係、


多くは途中で音信不通となり終わる。


冒頭に書いた通り、

多くの男性からすれば、

「相手による」というのが正直なところだろう。


先日はてなブックマークに掲載されていた記事、


これによると、

世代が若ければ若いほど、

デートは「割り勘」だと考える女性が増えるようだ。


生きてきた時代によるのか。

女性が経済的に自立する時代に向かっているという、

一つの証左と言えるのだろうか。


私が会った方は20代~30代、


基本スタンスとして、初回は全額出すつもりでいる。

相手から拒まれない限りは2回目以降も多めに出している。


さすがに「おごってもらうのが当たり前」

そういう人は一人もいなかった。


そして確かに若い人ほど、

「割り勘」を好む傾向があるとは感じた。


年の差があるからと、

毎回当たり前のように支払っていると、

「いつも出してもらっているから」と、

コーヒーをご馳走してくれたりもした。


別の方からは、

お手洗いの隙に会計を済ませると、

明らかに不機嫌に「払いますよ」と言われたこともある。


逆に、年上の方だったけれど、

「就活中だからこれでいいですか?」と、

向こうから少ない金額を出してきた人はいた。


その時はありがたく頂戴したけれど、

もともと全額出すつもりではいても、

そう言われると萎えてしまう。


「女性の価値観」は、

時代と共に変化しているのかな。


「スマートに支払いを済ませてくれる」よりも、

「自然と割り勘の流れになるような振る舞い」


そういうものが求められているのかもしれない。


「養ってもらう」のではなく、

家事も育児も仕事も分担して「共生」する。


「稼ぎの良い人」よりも、

「居心地の良い人」


単に「デートでの支払い」という、

男女関係に一端に過ぎないけれど、

そこに「理想像」が隠されているのかもしれない。


かと言って、

安易に男性の方から「割り勘でいい?」と提案すると、

相手を幻滅させてしまうという。


そこにもっていくまでの演出、

なんとも難しいものだ。


もちろん「居心地が良くて稼ぎもいい人」

そうであれば女性からすれば万々歳、


そう考えると、

相手に気を使わせることなく、

支払いを済ませるスキル、

そういうものが必要になるのかな。


結局は「おごる」に越したことはないのだ。

求められる要素が複雑になっただけ、

 

求められるものは増えていく。

 

女性が経済的に自立すればするほどに、

男に対するハードルは上がるのだ。


男はつらいよ

 

話題作『葬送のフリーレン』第3巻までを読んだ

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宝島社より発表された、

「このマンガがすごい2021」において、

チェンソーマン』に次ぐ第2位に輝いた作品、


舞台設定がとても面白い。


勇者と旅をして魔王から世界を救った魔法使い、

1000年以上生きるエルフのフリーレンが主人公だ。


人とは時の流れ方が違うエルフの主人公、


少女の姿のまま見た目は年を取らずに、

魔王討伐パーティは徐々に年老いて亡くなっていく。


彼らと旅をした10年が、

フリーレンの心に大きな変化をもたらしていた。


「人間のことを知りたい」

そんな淡く不確かな願望に引き寄せられるように、

仲間の弟子たちと共にかつての旅路をなぞる。


ネタばれは控えるけれど、

あまりにも長い時を生きすぎていて、

どこか命を冷めた目で見ているフリーレン、


だけれどもふとした時に見せる「人間らしさ」

そういう仕掛けが散りばめられていてほっこりさせてくれる。


たったの10年間、

1000年生きるフリーレン自身はそう言うけれど、

その仲間との10年間は彼女にとってかけがえのないものだった。


「命の使い方」


長く生きればいいわけではない。

誰かの心にどれだけのものを残したのか。


その大小ではないけれど、

人生の価値はそこにあるのかもしれない。

そんな「優しく爽やかなメッセージ」を発する作品だ。


戦闘シーンはあるが、

主人公がチートなので緊迫感はなく、

どこか教訓めいている。


冒険ものでありながら、

優しく爽やかな世界観は、

流行りの「異世界転生もの」を彷彿とさせる。


構成からして、

おそらくそんなに長く続くストーリーではないだろう。


1000年以上生きるエルフが、

人間と共存する中で「人間の在り方」を探る。

その結果、どのような答えに行きつくのか。


とても興味深い。

行く末を追いかけたい作品だ。

 

「依存先を増やすこと」が「自立すること」ということって言うけれど

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「依存先を増やすこと」が「自立すること」

 

少し前にはてなブックマークにもエントリーされていて、

面白いと思った言葉だ。


「一つのこと」に人生を委ねるのではなく、

広く浅く関わりを広げること、


「依存先を増やす」ほどに、

それらの関係を維持することが難しくなる。


複雑な要素が絡み合い、

こちらを立てればあちらが立たず、


多くのストレスに晒されて、

それらを解消しながら「善処」し続けるだけで手いっぱいだ。


バランス感覚に優れ、

誰に対しても誠実に振舞う。


そんな日常を維持するためには、

いわば「メンタルコントロールの達人」になる必要がある。

日常的に訓練することになるのだ。


それができるものならば、

まったくもって「自立」していることになる。


なるほど、

「言い得て妙」なパラドックスだ。


だけれども、

その「訓練」自体にストレス過多となり、

その過程で挫折してしまうのであれば、

そもそも「依存先を増やすこと」自体が弊害となる。


努力してそれができるならば、

「依存症」になるほど追い詰められたりはしない。


それにあまりにも八方美人の「カメレオン」だと、

どこかで整合性が取れなくなる。


結局は自分の人生を誰かに委ねている時点で、

何かに「怯えながら」生きることになるのだ。


もちろん「和」を重んじることは大事だけれども、

根っこの部分で「自分の軸」が必要だ。


その軸だけは決してブレない。


人とそういう関わり方をしていかないと、

巡り巡って信頼を失うことになる。


「人は理解できないものを恐れる」


「行動に一貫性がない」ということは、

「理解できない」という十分な理由になる。


人間関係には緻密なコントロールが必要、

そして数が増えれば増えるほど難儀になる。


それは避けられないこと、


だけれども、

「自分の振る舞い」はコントロールできる。


そして、

その「原動力」になるものが「自信」だ。


「自信」は「成功体験」から生まれる。

「成功体験」とは「自分を嫌いにならない行動を取れたか」だ。


そして「自分を嫌いにならない行動を取れたか」は、

「自分の軸」がなければ判断できない。


詰まるところ「自分を作る」こと、

そしてそれをアップデートし続けること、


結局「人生の課題」をクリアするためには、

どうしたって「自分と向き合う」しかないのだ。


それだけは忘れてはならない。

 

「思い込みの激しい人」ほど自らの感情に目をかけてやらなければならない

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「人の性質」はなかなか変わらない。


こと「無意識」に近いものほど、

変えることは困難だ。


「思い込みが激しい」

 

悪いように聞こえるけれど、

何も悪いことばかりではない。


近年では科学的な効果も実証されて、

アスリートたちは「イメトレ」に勤しむようになった。


良いイメージを脳に刷り込むことで、

パフォーマンスに有意な効果がみられる。

いまやそれが定説らしい。


「思い込みの激しい人」

ある意味では大きな可能性を秘めている。


炎炎ノ消防隊』に登場するアーサー・ボイル、


彼は自分のことを「騎士」だと思い込み、

その妄想がはかどるほどに強大な戦闘力を発揮する。

思い込みの力が「常識」を破壊するのだ。


「架空の人物の話」


確かにそうだけれども、

「思い込み」の力に助けられた経験、

誰しも一度や二度はあるのではないだろうか。


かく言う私も、

割と感情がパフォーマンスに直結するタイプだ。


学生時代の部活でも、

調子の良い時と悪い時がはっきりしていたし、

仕事をしていてもよく感じる。

 

気持ちに引っ張られて、

成果が浮き沈みすることは少なくない。

 

それならば、

それを無理に変えようとはせずに、

その特性を活かせば良いのだ。


「自分を気持ち良くさせること」

それってとても大事なことなんじゃないのかな。


「過信」は足元をすくわれるけれど、

「自信」はあったほうがいい。


主体的に生きているほうが、

QOL」は格段に高まるのだ。


「心の振れ幅」が大きいということは、

最大出力が大きいということ、

それを武器にすることもできるのだ。


チューニング次第で可能性は広がる。

 

人は自らの特性を悪い方向にばかり捉えたがる。

それは過去のキズから来るものだったり、

必要以上に自分を縛ることから来ていたり、

 

だけれども、

プラスの方向に立って捉えられるのだ。

 

ビクビクしながら何度も後ろばかり振り向いていないで、

前しか向かないくらいに図太く生きれば良い。

 

自分を誤魔化してでも、

自分の心を軽くしてやる。

 

それで良いじゃないか。

 

とことん思い込めば良い。

「大丈夫だ」って、

思い込めば良いのだ。

 

レッドブルではないけれど、

「心に翼を授ける」

 

意図的にそうしてやることも、

生きるためのコツなのかな。

 

だから私は毎朝、

「私ならやれる」って、

そう自分に言い聞かせることにした。

 

「自動車運転免許筆記試験」に落ちた話

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クイズ王の伊沢拓司さん、

彼が自動車運転免許の筆記試験に落ちたことがあるということが、

密かに話題になっているようだ。


学生の頃の話だけれども、

実は私も筆記試験に一度落ちている。


はっきりと覚えている。

1点足りなかったのだ。

 

確か窓口で結果を渡された時に、

「残念だったねぇ」みたいなことを言われた。


完全に舐めていた。

画面でピコピコやっていた模試では、

合格しかしていなかったと思う。


だけれども本番で1点足りずに落ちた。

そしてその日の午後にもう一度受けて合格した。


伊沢さんが「話のネタを5000円で買ったと思えば安いもの」

そう主張しているのを見て、

「あれ、5000円もしたのか」と思った。


それならば「私も」と思って、

ブログに書いては見たものの、

ここまで書いて思うことは、

「何も話は広がらない」ということ、

 

伊沢さんのようにメディアで話すネタとしては、

5000円は安いものでも、

私のブログに書くネタとしては高すぎる。


頑張って何とか話を広げよう。

 

そうだ。

私はマニュアルで免許を取得した。


私が取得した頃は、

「男は黙ってマニュアル」という、

よくわからない空気が蔓延っていた。

 

それに流されて、

私もマニュアルで取得したけれど、

取得してからは一度もマニュアルで運転していない。


金額が高いだけではなく、

ついでに難易度も高い。

いまさら運転できるとも思わないから、

おそらく機会があっても「無理だ」と断るだろう。

 

マニュアルで取得しても何も良いことはない。

ただの「見栄」だったのだ。


今はどうなのだろうか。

相変わらず「男は黙ってマニュアル」が蔓延るのであれば、

「声を挙げてAT限定」にすることをお勧めする。


「若さ」ってきっと、

「無駄な努力」と共にあるものなのだ。

 

人は年と共に効率的に生きることを目指すように変わっていく。

報われる努力ばかりをしようと躍起になる。

 

若い頃の努力は、

その判断基準を決めるための「無駄」なのだ。


だから、いくらDIOから、

「無駄!無駄!無駄!」と言われたところで、

その「無駄」を止めることはできない。

 

諦めなければ承太郎のように、

時だって止められるようになるかもしれない、

なんてことはない。

 

よくわからなくなってきたな。

そろそろまとめよう。


さて、運転免許の試験って、

裏読みすればするほどに深みにハマる仕様だった気がする。

だからクイズ王とは相性が悪かったのだろう。


「伊沢さんと同じ」


そういうことにしておけば、

私見に落ちたことにも箔が付くかもしれない。


「私も」

運転免許の試験に一度落ちている。


私は5000円で、

この記事を書くためのネタを買ったのだ。

 

そう考えると、
とても割に合わないな。

 

単純に実力不足、

試験は油断せずに受けた方がいい。

 

そういう教訓にすれば安いものか。