「依存先を増やすこと」が「自立すること」
少し前にはてなブックマークにもエントリーされていて、
面白いと思った言葉だ。
「一つのこと」に人生を委ねるのではなく、
広く浅く関わりを広げること、
「依存先を増やす」ほどに、
それらの関係を維持することが難しくなる。
複雑な要素が絡み合い、
こちらを立てればあちらが立たず、
多くのストレスに晒されて、
それらを解消しながら「善処」し続けるだけで手いっぱいだ。
バランス感覚に優れ、
誰に対しても誠実に振舞う。
そんな日常を維持するためには、
いわば「メンタルコントロールの達人」になる必要がある。
日常的に訓練することになるのだ。
それができるものならば、
まったくもって「自立」していることになる。
なるほど、
「言い得て妙」なパラドックスだ。
だけれども、
その「訓練」自体にストレス過多となり、
その過程で挫折してしまうのであれば、
そもそも「依存先を増やすこと」自体が弊害となる。
努力してそれができるならば、
「依存症」になるほど追い詰められたりはしない。
それにあまりにも八方美人の「カメレオン」だと、
どこかで整合性が取れなくなる。
結局は自分の人生を誰かに委ねている時点で、
何かに「怯えながら」生きることになるのだ。
もちろん「和」を重んじることは大事だけれども、
根っこの部分で「自分の軸」が必要だ。
その軸だけは決してブレない。
人とそういう関わり方をしていかないと、
巡り巡って信頼を失うことになる。
「人は理解できないものを恐れる」
「行動に一貫性がない」ということは、
「理解できない」という十分な理由になる。
人間関係には緻密なコントロールが必要、
そして数が増えれば増えるほど難儀になる。
それは避けられないこと、
だけれども、
「自分の振る舞い」はコントロールできる。
そして、
その「原動力」になるものが「自信」だ。
「自信」は「成功体験」から生まれる。
「成功体験」とは「自分を嫌いにならない行動を取れたか」だ。
そして「自分を嫌いにならない行動を取れたか」は、
「自分の軸」がなければ判断できない。
詰まるところ「自分を作る」こと、
そしてそれをアップデートし続けること、
結局「人生の課題」をクリアするためには、
どうしたって「自分と向き合う」しかないのだ。
それだけは忘れてはならない。