「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

人には「主役でいられる場所」が必要

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だれしも、どこかで主役になることを夢見ている。

仕事、家庭、趣味のコミュニティ。

そのどこにも主役になれる場所がなければ、オンラインのコミュニティにまで、人は主役になることのできる場所を求めているのだ。

 

人は他者との関わりの中でしか、自分の存在価値を見出すことはできない。

誰かに必要とされて、誰かを必要とする中で「自分はここにいても良いんだ」と安堵する。

 

ある場所では脇役でも、ある場所では主役でいたい。

どの場面でも脇役だと、自分は本当にこの世に存在して良いのかなんて、ネガティブな感情に囚われてしまう。

 

どこかで主役になりたい。

主役になれる場所がないと不安になる。

だから、主役になれる場所を持たない人は、それを追い求めてオンラインの辺境地まで辿り着くのだ。

 

自分の人生の主役は自分自身。

その運命から逃れることはできない。

不甲斐なさも、至らなさも、自分が一番よく知っているはずなのに、それでも自分の人生だけは自分が主役であり続けなければならない。

 

どれだけストーリーライターに恨み節を重ねても、状況が変わることはない。

どんなに気に入らないストーリーだとしても、それを受け入れるしかない。

そのストーリーを自ら書き換える作業は、並大抵のことではない。

 

そんな高難度のクソゲーみたいな人生だとしても、主役を降りることなどできないのだ。

 

だから、人との関わりの中で、どこかで主役でいられることができれば、それだけで安心できる。

そうやって安心を切り売りしながら、コミュニティは成り立っているのだ。

 

自分で自分のことを認めてあげたい。

みんな、いつだってそう願っている。

手塩にかけて育てた「自分の人生」が、報われることを信じて生きている。

たとえ、どんなに理不尽な間に合い続けていたとしても、自分のことを本当の意味で諦めることなどできないのだ。

 

心の奥底では、輝かしい未来が来ることを信じて、それを原動力として前に進み続けている。

 

諦めなければいい。

諦めなければ卑屈になることはない。

諦めたくなる時があってもいい。

それでも最後に諦めなければそれでいいのだ。

 

途中でやめることのできない、

簡単にリセットすることもできない、

そんな理不尽なゲームを、

私たちは死ぬまでプレーしなければならない。

 

それならば、できる限り楽しみながら生きたい。

報われない努力はたくさんある。

理不尽な仕打ちを受けることもたくさんある。

 

仕方がないさ。

それを攻略するところに楽しみを見出そう。

伝えたいこと、伝えたくないこと

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自分が感動した経験は人に伝えたくなる。

逆に自分の弱さや失敗は、あまり人には伝えたく無いと思う。

 

方や、他人からすれば、シャーデンフロイデという言葉がある通り、人の不幸話を聞きたいという傾向があるのだろう。

 

お年寄りの話す、昔の武勇伝。

話している本人はとても楽しそうだ。

聞いている側はどうだろう。

「そんな昔の話をされても」と思ってしまうことが多いのではないだろうか。

 

伝えたいことと聞きたいことの間にギャップがある。

それをうまく調整しなければ、話の面白くない人、とレッテルを貼られてしまう。

 

時間は限られている。

今の時代は特にタイムパフォーマンスという言葉に象徴される通り、自分の時間を如何に自分のために使うか、という価値観が蔓延っている。

 

面白く、ためになる話。

動画であれば、つまらないと判断した時に見ることをやめられる。

その価値観が対人にまで及んでいるのだろう。

人が話していると、それを途中で遮ることはできない。

どんなにつまらない話でも、区切りがつくまでは聞き続けなければならないのだ。

 

だから、話をする側は、相手にとって聞くメリットのある話をしなければならないのだ。

なんとも世知辛いが、時代がそっちに進んでいるのだから仕方がない。

 

そういう時代を生きるにあたり、聞き手の興味を引くためには、自分しか持っていない体験談を話すことが手っ取り早い。

その人しか持っていない情報には価値がある。

だから、芸能人もテレビでプライベートを切り売りするような機会が増えた。

 

伝えたくないこと。

多くの人にとって、プライベートを切り売りすることには抵抗がある。

しかし、それをしないと聞き手の興味を引くことはできない。

 

ギリギリのところで、話しても良いこと。

話したくないことを取捨選択して会話を構築しなければならない。

自分のことが好きすぎると、セルフイメージの崩壊を恐れるあまりプライベートを晒すことができなくなる。

 

そうやって、プライベートを切り売りできない人は、話のつまらない人とレッテルを貼られて孤立していく。

会話にバランスを求められる時代。

なんとも難しい時代になったものだ。

「伝える力」を強化したい

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言葉然り、文章然り、

自分の思っていることを相手に的確に伝えることは難しい。

 

今の会社に転職するにあたり、私の強みは「人と人との間に入り調整する力」だと考えていた。

だから、それを高めるための転職にしたいと考え、今の会社に入った。

 

実際に、今の会社ではそういう役割を任される機会が多い。

多過ぎて嫌になる程だ。

そうなると力不足を痛感する。

そして、その「力不足」の根底にあるのは「伝える力」であると感じる。

 

6年もブログを書き続けているのに、私にはまだビジネスで求められる「伝える力」が不足しているようだ。

 

足りない力を認識することは大事なことなのだろう。

その点では、まだ私には見込みがあるのかもしれない。

ミッドナイトクライシスを感じる年齢に差し掛かったこの時に、スキル不足を痛感することは正直堪える。

 

もはやポテンシャルを加味して評価される年齢ではなくなった。

あらゆる場面でリーダーとしての役割が求められる。

これまで自分ではスキルを培ってきたつもりだったけれど、私の努力が足りなかったのだろうか。

 

30を越えたあたりで、一度メンタルをやってしまい、無理の効かない体になった。

それが私の限界だったのだろう。

そこからの私は、自分の心と体に忖度をしながら、できる範囲での努力を続けてきた。

 

しかし、忖度をしないで限界まだ努力をしてきた人には敵わなかった。

だから、スキルが不足している。

そういうことなのかもしれない。

 

今はただ地道にコツコツとやっていくしかない。

スキルが足りないものは仕方がないのだ。

それを受け止めつつ、自分のことを諦めないで、地道にやっていくしかない。

 

人生を恨んでも仕方がない。

誰かのせいにすることは愚かなことだ。

私は私の人生を生きるしかない。

 

大変なことが重なる。

それでも私は、私の望んだこの道を前に進み続けるしかないのだ。

きっと、私にしかできないことがあるはずだから。

のび太と出来杉くん

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のび太結婚前夜

ジャイアンスネ夫と一緒に出来杉くんが登場する。

のび太が恋敵と決めつけて、しずかちゃんと出来杉くんが仲良くしているところに嫉妬をしていたけれど、大人になるまで深い付き合いが続いているくらいだから、案外、のび太出来杉くんは相性が良いのかもしれない。

 

スポーツ万能で勉強ができ、おまけに性格まで申し分のない出来杉くんと、スポーツも勉強もできないけれど、射撃と昼寝の天才で、時折抜群の発想力を発揮するのび太

対照的な2人だからこそ、相性が良いということは少なくない。

 

しずかちゃんの心のうちは、小学生の頃から決まっていたのかもしれない。

それは出来杉くんの発言からもわかる。

「しずかさんのことでは、昔からのびくんに勝てる気がしなかった」

 

これも、のび太としずかちゃんの相性の問題なのだろう。

理屈ではなく引かれ合う相手。

そして、案外その直感は間違っていないことが多い。

無意識のうちに遺伝子同士が惹かれ合うのかもしれない。

 

恋敵としての側面を持ちながらも、お互いを認め合っていたのび太出来杉くん。

だからこそ、大人になってからも良い関係を続けているのだろう。

 

幼馴染。

環境の変化とともに関係は薄れていく。

自分に置き換えてみても、昔から続いている関係は、ごく少なくなった。

 

その生存競争を乗り越えて、繋がり続ける関係は、時の洗礼を受けたものなのかもしれない。

だから、のび太出来杉くん、ジャイアンスネ夫の関係は羨ましく思う。

 

子供は時には残酷だ。

感情のままに人を傷つけることもある。

幼少期ののび太に対するジャイアンスネ夫の仕打ちは酷いものがある。

それでも大人になるまで、時の洗礼に耐えた関係は本物なのだろう。

 

友情というものは難しい。

あまり深い関係だと思わなくても、長い期間を一緒に過ごすこともあるし、どれだけ仲が良かったとしても、些細な環境の変化で途切れることもある。

友情の招待は、当の本人にもわからないのかもしれない。

 

だけれども、相性は大事なのだろう。

一緒にいたいと思わなければ、自然と離れていく。

そうならないということは、お互いに居心地が悪くないということ。

のび太出来杉くんも、そういう関係を続けていたのかもしれない。

町田ゼルビアが強い理由

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ここしばらく、あまりJリーグを見なかったのだが、ふと目についたスポナビのJ1順位表を見て驚いた。

 

1位に輝く「町田」という文字。

正直、えっ?と思った。

町田ゼルビア」ってJ2のチームじゃなかったっけ?

それくらいの予備知識しかなかったからだ。

 

調べてみると、昨年から大躍進を遂げたらしい。

昨年J2でクラブ史上初の優勝を決めると、今年はJ1で快進撃を続けている。

社長が変わって一気にトップダウンのチーム改革を行なったようだ。

 

この快進撃の一番の立役者は、昨年から指揮を取る黒田監督。

 

彼の前職は高校サッカーの監督。

名門である青森山田高校の監督を長年務め、高校3冠を達成するなど実績は十分。

しかし、Jリーグでは高校の監督がいきなり監督を引き受ける事は異例とのこと。

厳しい目線を注がれてのスタートだった。

 

就任と同時に、若くて運動量のある選手を集め、90分間プレスをかけながらゴールを狙うという運動量重視のサッカーを展開。

基礎から徹底的に鍛え直し、堅守と勝ちに徹するサッカーで結果を残し続け、7試合で5勝1敗1分の首位に輝いている。

 

黒田監督が監督を引き受けた時のチームの印象は、プレーのレベルは高いが、基礎ができていない面も多い、ということ。

それを徹底的に鍛え上げて、勝ちにこだわるたいわかりやすいメッセージを浸透させることで、勝てるチームへと変貌した。

 

前線は外国人選手の個人技頼みだったり、ラフプレーが目立つなど、チームとしての課題は多いようだが、ここまでJ1で首位に立っていることは、奇跡と言っても良いくらいの功績だろう。

 

評論家の意見を見ても、J1の強豪クラブと互角以上に渡り合っており、チームとしての実力は確かなもの、とのことだ。

さらに怪我で離脱しているエースストライカーのエリキが控えているという。

 

このまま失速せずに最後まで首位をキープするのか。

今後の町田ゼルビアの戦いから目が離せない。

 

あいみょん『ノット・オーケー』

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昭和の香りが散りばめられた曲。

どこか懐かしく癒される。

それでいておしゃれなのだ。

まさにあいみょんの真骨頂と言っても過言ではない。

 

人生うまく行かない時の方が多い。

SNS全盛の時代だからさ。

誰もがキラキラ輝いているように見える。

それはいい瞬間を切り取っただけの虚像に過ぎないのにね。

 

見えていないところでみんな苦労している。

見えていないところでみんな泥に塗れている。

 

善く生きなければならない。

成長し続けなければならない。

果たしてそれが正解なのだろうか。

 

 

あいみょん『ノット・オーケー』

テレワークの疲労感

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私はたいてい週に一度か二度テレワークをしている。

その中で感じる疲労感。

出社した時とはまた違う独特なものだ。

 

もちろん通勤のストレスが無い分、合理的に考えるとテレワークの方が疲労感は少ないはずだ。

しかし、一概にそうとも言えないから難しいところだ。

 

監視の目があまりない中で、自律的に仕事を進めなければならないというプレッシャーなのか。

それとも、周りの状況がわからないから、自分がうまく仕事をこなせているのかわからないという不安感なのか。

はたまた、勤務時間なのに家で自由に過ごすことのできるという、背徳感に対する罪悪感のようなものに苛まれているのだろうか。

 

人はいつだって何かに不安を感じている。

恵まれた環境にいたとしても、どこかに不安を感じていないと気が済まないのだ。

そういった感情が、どこかでテレワークの疲労感と結びついている気がする。

 

人生は、不安と幸せの間で葛藤を続けながら進んでいくものなのだろうか。

何もないと不安になる。不安のないことが不安になる。

そうやって、いつまでも不安を追い求めて、不安に追いかけられながら進んでいくのが人生なのかもしれない。

 

そう考えると、不安を感じることは当たり前のことなのだ。

不安を感じていることに対して、不安を感じる必要はない。

 

生きていること自体が、不安に塗れている。

人はいつだって無い物ねだり。

欲しいものが手に入っても、また別のものを欲しくなる。

 

そうやって数珠繋ぎに前に進まないと生きていけないのだ。

出社しようが、テレワークだろうが、いつだって不安に苛まれている。

いつだって疲れているのだ。