自分が感動した経験は人に伝えたくなる。
逆に自分の弱さや失敗は、あまり人には伝えたく無いと思う。
方や、他人からすれば、シャーデンフロイデという言葉がある通り、人の不幸話を聞きたいという傾向があるのだろう。
お年寄りの話す、昔の武勇伝。
話している本人はとても楽しそうだ。
聞いている側はどうだろう。
「そんな昔の話をされても」と思ってしまうことが多いのではないだろうか。
伝えたいことと聞きたいことの間にギャップがある。
それをうまく調整しなければ、話の面白くない人、とレッテルを貼られてしまう。
時間は限られている。
今の時代は特にタイムパフォーマンスという言葉に象徴される通り、自分の時間を如何に自分のために使うか、という価値観が蔓延っている。
面白く、ためになる話。
動画であれば、つまらないと判断した時に見ることをやめられる。
その価値観が対人にまで及んでいるのだろう。
人が話していると、それを途中で遮ることはできない。
どんなにつまらない話でも、区切りがつくまでは聞き続けなければならないのだ。
だから、話をする側は、相手にとって聞くメリットのある話をしなければならないのだ。
なんとも世知辛いが、時代がそっちに進んでいるのだから仕方がない。
そういう時代を生きるにあたり、聞き手の興味を引くためには、自分しか持っていない体験談を話すことが手っ取り早い。
その人しか持っていない情報には価値がある。
だから、芸能人もテレビでプライベートを切り売りするような機会が増えた。
伝えたくないこと。
多くの人にとって、プライベートを切り売りすることには抵抗がある。
しかし、それをしないと聞き手の興味を引くことはできない。
ギリギリのところで、話しても良いこと。
話したくないことを取捨選択して会話を構築しなければならない。
自分のことが好きすぎると、セルフイメージの崩壊を恐れるあまりプライベートを晒すことができなくなる。
そうやって、プライベートを切り売りできない人は、話のつまらない人とレッテルを貼られて孤立していく。
会話にバランスを求められる時代。
なんとも難しい時代になったものだ。