芸能人は因果な商売、
プライベートを切り売りしないと食べていけない。
一般人も好きでそうなってしまったのかな。
SNSで拡散して注目される。
「こんな事ができる俺すげーだろ」
「こんな特別な経験をした私すごいでしょ」
生活が満たされないからって、
そこに自分の存在価値を見出そうとする。
(ブログも同じだけれども)
そこで認められてしまうと中毒症状と同じ、
もっともっと注目されたい。
もっともっと私のことを見て、
一線を越えることに対する敷居が低くなって、
気がつくと後戻りできなくなっている。
制裁する側も同じ、
信用はコスト、
自分が安心・安全に過ごすために、
制約を課して社会にコストを支払って守られる。
だからルールを守らないのに、
社会から守られるタダ乗りのフリーライダーが許せない。
「自分はルールを守って生きているのに」
「ルールを守らないやつは爪弾きにされるべき」
「自分の正義を示したい」
制裁を加えることで、
自分の生き方を肯定したがる。
そりゃあそうだ。
ルールを守っていることが馬鹿らしくなるから、
それが秩序というもの、
メディアや被害者は、
再発防止を謳って見せしめに躍起、
そりゃあそうだ。
理不尽にこんな通り魔みたいなのに看板に傷をつけられたら、
たまったものではない。
実害を受けた人は、
とことん権利を主張すればいい。
それが法治国家なのだから、
でも、こうやってみんなで爪弾きにして、
二度と立ち直れなくなっても、
日本の社会保障は手厚いもので、
みんなが食わせていくことになる。
そうやって爪弾きにされた人たちで、
反社会的な徒党を組んで、
より大きな被害が生まれることもある。
いくらダメだとわかっていても、
気質的にバカなことをやめられないバカっているもので、
それが個性であり時には人気を集めたりもする。
「ルールを守らないと社会的に抹殺されますよ」
それでは自由なようで不自由、
「許せない。許せない。どうしても許せない」
「何が許せないって?」
「ルールを守っている自分が損することが許せない」
「でも結局は許せないことで損をしているみたいだよ」
いつだってそう。
何も悪いことをしていないのに、
「許すことをできない人」が自分で勝手に醜くなって一番損をする。
許容できないものには必要以上に関わらない。
結局それが一番損をしないのかもしれない。