監視社会

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「最大多数の最大幸福」

それを目指した功利主義者として有名なジェレミ・ベンサム


彼が囚人の自立を促すために提唱した、

パノプティコン型と呼ばれる円形の監獄、

彼は「囚人を恒常的な監視下におけば、

彼らに生産的労働習慣を身につけさせられる」と主張した。


中央に監視塔を置き、

その360度に囚人室、

看守からはすべてを見渡せるが、

囚人から看守の様子は見えない。


この構造により、

囚人はいつも「見られているかもしれない」という心理が働き、

悪事を働かないようになるらしい。


それをもとにミシェル・フーコーが唱えた

パノプティコン社会」と呼ばれるもの、

いわゆる「監視社会」の原点だろう。

 

情報化が暴走を始めた近年、
少し前のことになるがこの言葉が注目された。


最も先に進んでいるのは中国、

インターネットは国家の検閲対象となり、

検索ワードに制限がかけられる。


監視カメラはいたるところにあり、

ネットワーク機器にまで盗聴の疑い。

一歩間違えれば、国体のために国民の自由を奪う。


そもそも出発点に問題がある。


功利主義」とはいわば究極の合理化、

「全」のために「個」を切り捨てることを厭わない。

その弱点は人権が軽視されていることにある。


ドラマ『絶対正義』

「法律」という名の正義を振りかざして、

人権を無視してバタバタと人を裁いていく主人公、

そこに「愛」はなく、あるものは「正義」だけ、


そうなってしまうと信用も何もあったものではない。

従うように見えても内面にはどんどん不満を貯め込む。


監視社会でも構造は同じだろう。

抑圧された心はどこへ向かうのか。


たいてい蜂起へと向かう。

ガス抜きのために「豊かさ」や「自国ファースト」で餌付けできているうちは良い。

でも「気づかないふり」は長くは続かない。

 

国よりも人を中心に添えないと、

結局、自治はうまくいかない。

 

水滸伝でも三国志でもそう。

人は自分のことをわかってくれる人に命を捧げる。

歴史がそれを物語っているはず、


「見られているかもしれない」

という抑止力、

知らないうちに着々と広がっている。


身長、体重、家族構成はもちろんのこと、

趣味、趣向、性格から性癖まで、

いつの間にか誰かに知られているかもしれない。


決して海の向こうの話では済まない。

我々はそういう場所で生きていかなくてはならないのだ。

 

誰かに秘密を知られているかもしれないと、

疑いながら生きなければならないし、

誰かの秘密を知ってしまっても、

知らないふりをして関わらなければならない。


なんとも生きづらい世の中、


「安心・安全を守るために必要なこと」


「見えない抑止力」に支配されて、

「無言の圧力」に晒されて、

薄々そのことに気が付きながらも、

気が付かないふりをして生きている。


これでは心を壊してしまうわけだ。

 

不平不満を漏らしても、

世界の方はなかなか変わってはくれない。

 

あくまでも自分がどう生きるか。

しなやかさを失わずに強く在りたい。