今クールのドラマを見ていて、
やけに目についたテーマ、
私が見た範囲だけでも、
『3年A組』を筆頭に『トレース』や『QUEEN』でも言及されていた。
「SNSの闇」
時代の流れなのか。
見ていて気持ち悪いくらい同じような描写で、
吹き溜まりのような悪意をリアルに「悪」として映し出す。
使い方を間違えれば、
どんなに便利な道具も人を傷つける凶器となる。
そんなテーゼが見え隠れする。
気に食わないものを乏しめて、
相対的に自分の価値をあげようとする。
鬱憤を晴らすために、
世間様から叩かれている誰かを叩くという、
「正義」に便乗する。
自分よりも恵まれない人を見て、
自分はまだまだ大丈夫だと安心することだってある。
「自分の価値を信じられないからそうなる」
世界が狭くなりすぎて、
ライバルは60億人、
それだから人と比べては自分の立ち位置を確認し、
いちいちそれに一喜一憂する。
「5G」
今年は通信環境にイノベーションが起こるといわれるはじめの年、
これから先はますます世界は狭くなるだろう。
だからこそ、
「軸」となるものを確立しなければならない。
私の場合は、
「誠実であること」
「人を道具として見ないこと」
「合理的であること」
今のところは、
上から優先して、
これを軸に「自分のやり方」というシステムを構築している。
フレームワークがしっかりしていないと、
拡張性の乏しいシステムが出来上がってしまう。
私がこれまでに構築してきたシステムは、
一つの価値観に偏りがあったのだろう。
拡張性に乏しかったのだ。
どんなに素晴らしいものであっても、
それに傾倒しすぎて、
自分の存在価値を委ねてはならない。
何度も同じようなことを書いているが、
戒めのように自分に言い聞かせている言葉、
フレームワークは模倣品でもいい。
だけれどもシステムの構築まで誰かに任せてはいけない。
パッケージ化されていれば、
そりゃ便利で手軽なもの、
それを購入して、
「これが私の価値観です」
安心安全お手軽で、
おまけに同じコミュニティでは称賛される。
自己承認欲求を満たすとともに、
他者からも承認される。
便利すぎて涙が出てくる。
だけれども、
拡張性に乏しい。
そしてどうしたって排他的になる。
その価値観にそぐわないものや、
異を唱えるものに対しては、
「対応できません」って、
思考停止して遠ざけるようになる。
「本当にそれでいいのかな?」
今の自分を自分に問い続けられなければ、
そこで試合終了してしまう。
あたかも
「これが自分の価値観です」って、
そんな顔をしていたって、
ちょっと突っ込まれたら説明できなくなる。
それではちょっと虚しいでしょ。
ドラマを見ることも、
映画を見ることも、
本を読むことも、
ブログを書くことも、
そのための作業なのかもしれない。
「私はこういう価値観で生きています」って、
誰にでも臆せずに語れるようになりたい。
悩み苦しむごとに、
それは変わるかもしれないけれども、
その経緯を含めて、
説明できるようになりたい。
話が尽きないほど、
生き生きと、
本当に楽しそうに、
そうなりたい。
そうすれば周りに何を言われようと、
どんな道具を使っていようと、
自分らしくいられるのだろう。
それが私の目標なのかな。