自分が不当に扱われているだとか、
誰かに付きまとわれているだとか、
傷ついた経験をするほどに、
自分の価値を信じられなくなる。
そこから生まれるものが過剰な自意識、
ある程度の自意識は必要なもの、
それがないと周りの目を気にしなくなってしまうから、
努力をしなくなってしまうから、
だけれども、
それが過剰になってしまうと、
何に対しても不満しかなくなってしまう。
周りから見た自分を正しく認識しなければならない。
過大評価しすぎてもダメだし、
過小評価もダメ、
見る人によってもぜんぜん違う。
自分の立ち位置を正確に把握することはとても難しいこと、
部分的にはできたとしても、
その全体を正確に把握することはできないのかもしれない。
それならばできることは、
「感謝」と「誠意」を忘れないこと、
そして、
それを使う自分に酔わないこと、
「感謝」と「誠意」を評価されるための道具にしていたら、
そこから得るものには「虚しさ」がついて回る。
当たり前のように、
「感謝」と「誠意」が滲み出るようになれば、
自意識になど振り回されないで済むのだろう。
だから、
自分が不当な扱いを受けているように思えたら、
使い捨てにされていると思ったら、
世の中への不満が募る一方ならば、
そういうときこそ逆に、
「感謝」と「誠意」を忘れないようにしたい。
だけれども、
それを使いこなしてはいけない。
いつまで経っても、
感謝しようとして感謝したって、
誠実であろうと思って誠意を見せたって、
自分は偽りに気づいている。
滲み出る
「感謝」と「誠意」
それを手にするには地道に、
とにかく地道に、
自然とそうあり続けるための修業が必要なのだろう。
社会的な立場が低くたって、
異性から選ばれなくたって、
魅力的な人はたくさんいる。
一緒にいて安心できる人って、
信頼できる人って、
きっとそういう人、
何かを得るためにズルくなるよりも、
そこから少し離れて、
過剰な自意識を少しでも手放したい。
どこまでも不器用に、
「感謝」と「誠意」にまみれた人生でありたい。
それは少しばかりの報酬を得るよりも、
きっと人生に大きな充実感を与えてくれるはず、