「純朴な青年だったのに」
環境が人を変えてしまう。
私も少し経験があるけれど、
周りが気を遣って言うべきことを言ってくれなくなると、
おかしな方向に進んでいることに気がつかなくなる。
そうやって、少しずつ歪みは大きくなっていくのだ。
どこかで「おかしくなっていること」に気がついて、
自分で方向を変えていかなければならない。
そこには大きな痛みが伴うけれど、
「ぬるま湯」で無駄に時間を費やすよりは良い。
社会には大した働きをせずとも、
不当に高い賃金を得ている人達がいる。
或いは、不当に権力を持ちすぎてしまったがために、
好き放題している人がいる。
そこに至るまでの運と努力はあるのだろうけれど、
それを手に入れたところをゴールにしてしまったら、
ある意味ではそこで終わってしまう。
「成長」を目指さなくなったところから、
心は老いていくのだ。
そういう期間も必要かもしれない。
それもまた経験だ。
その上に積み重なるものもあるかもしれない。
だけれども、そこにしがみつくようになったら終わり、
周りを蹴落としたり、傷つけたり、
「利権に巣食う魔物」と化してしまう。
なんとも醜い。
そういう姿は醜いんだよ。
権力者であればあるほど、
「全体最適化」に寄与すべきだ。
そういうことのできる「坂本龍馬型」の人間は今後出てくることはないのだろうか。
私が今意識していること、
とにかく「おもしろいことがやりたい」
そう思っている。
目の前の取り組んでいることに対しても、
「おもしろいこと」に変えたいし、
惰性で過ごす時間は極力減らしたいと思っている。
生活を見つめ直してみると、
「無駄な習慣」というものは無数にあるのだ。
それを一つ一つ変えていけば、
まだまだ「良くなること」はできるはず、
まだまだ「おもしろい人生」を歩めるはず、
結局「立場を守ることに必死な人」ってのはさ。
そこに気がつかないんだよ。
常にビクビク怯えてさ。
人を攻撃することでしか安らぎを得ることができない。
そうなってしまったら終わり、
そこに至るまでには、
きっかけってものが必ずあるはず、
どこかで変に「特別扱い」をされるところが始まり、
その「特別扱い」が必要なものだったとしても、
そこに感謝がなくなったところからおかしくなっていく。
ここ最近、「バカじゃないの?」と思うようなことを平気でして報道される有名人が多い。
コロナ禍でさ。
人との距離感がおかしくなってしまったのかな。
「自分はおかしな方向に進んでいないか」
そういう自問自答は必要だ。
本当の「自由」と言うものは、
どのような環境であっても、
周りを認めて、周りから認められること、
自然とそんな振る舞いができる人、
そういう人が、ある意味では「特別」なのかな。