芸能人なんかその最たる例、
知名度が高いから私生活に「情報」としての価値がつく。
「あの人ってああなんだって」
そうやって話のネタになるのだ。
ブログを書いていると、
少なからず私生活を切り売りしている。
それにも多少の「情報」としての価値がつく。
「そういう人がいるみたいだよ」
話のネタとしてそういう価値がつく。
もしくは、同じような境遇の人との「共感」
苦労や痛みを共有することができる。
その底にあるのは、
「理解してほしい」
人にはそういう気持ちがあるってこと、
後ろめたいことを除いて、
もちろんリスクはある。
誰でも見られるところに、
プライベートを晒すわけだから、
それが嫌ならば、
ノートにでも吐き出しておけばいい。
自分にしか確認できないように、
だけれども、
それでは収まらない。
「理解してほしい」
そして「繋がりたい」
そういう気持ちが強いから、
ブログは自己顕示欲の塊、
そういうものを自分の中だけで処理できないから、
だからこうして気持ちを乗せて公開するのだ。
私のブログは私のために書いているもの、
少なくとも自己満足、
進む先がわからないからって、
日々の気持ちを記録して、
メタ認知のための道具にする。
だけれども気がつけば、
いろいろな方と繋がることができた。
そしてそれは一本の糸のようなもので、
簡単に途切れてしまう程度のものだけれども、
かけがえのないもの、
その事実が示している。
自己開示をしたほうが、
しないよりもメリットがある。
「私はこう思っている」
「私はこういうことで悩んでいる」
そういうことって、
なかなか伝えられないことだけれども、
「自分もあなたと同じように悩んで生きています」って、
そういう自己紹介になる。
もちろん立場や場所はわきまえないといけないけれども、
「プライベートを切り売りする」
それってそんなに悪いことではない。
悪事をしていない限りは、
「自分を表現する」
それによって傷つくこともあるけれど、
しなかったら「後悔」と言う名の疾患として、
心に残り続けてしまう。
それはきっと、
傷よりも治るまでに時間がかかるもの、
結局は「勇気」
いつだって課題解決の方策を考えれば、
その筆頭に顔を出す。
人生にはきっと何をするにしても、
「勇気」というやつが必要なのだ。
「愛と勇気だけが友達さ」
それって寂しくないかい?
そう思っていたけれど、
その2つがあれば、
周りにたくさん人は集まってくるのか。
そういうことですよね。
やなせたかしさん、