ドストエフスキー『おかしな人間の夢』

f:id:tureture30:20191121065031j:image

 

短編集の中の1つだったけれども、

強烈な印象を受けた作品、


人生に絶望した男が、

自殺することを決意した夜に、

哀れな一人の少女と出会う。


助けを求められるも、

男はそれを振り切って家路に着く。


家に着くと「死」を覚悟したはずの自分に生じた

「憐れみ」という感情に戸惑い、

「自分は生きている」ということを実感する。


その夜は命を終わらせることなく、

椅子に腰掛けたまま眠ってしまった。

そこで不思議な夢を見る。


人類の原始から、

知恵を身につけ科学に至る。

その走馬灯のような夢を、


はじめはただ「生」を紡ぐだけで幸せだった。

人類は知恵をつけて所有権を行使するようになる。

そして、幸せになる方法ばかりに思いを巡らせて、

幸せであることを蔑ろにする。


科学に傾倒するのだ。


物質的な豊かさを追い求めて、

精神的に荒廃していく。

幸せになる方法ばかりを追い求めて、

幸せになるために進歩してきたのに、

まだ「幸せ」を求めている。


満たされないのだ。


男はそのような人類を愛おしく思う。

自己という殻に閉じこもっていたことに気がつき、

そこを一歩踏み出して人類愛に目覚める。


キリスト教の根幹、

使い古されたテーマだけれども、

「自分と同じように他人を愛する」

隣人愛というやつ、


それに目覚めることで、

「生」に前向きになり「満たされる」

そういうことを表現した。

 

男の信仰体験を通して、

ドストエフスキーは文筆家としての覚悟を描いたのだろう。


「人を愛することなしには、人を憎むことはできない」

印象的な言葉、


愛があるから憎しみが生まれる。

だけれども愛に傾倒しないと満たされない。


自己愛からの脱却、

人類愛へのコミット、


自己という枠を超えた先に、

「満たされる」

そういう感覚があるのかもしれない。

 

「おかしな人間」

 

人はいつも自分のことばかり、

自分のことで精一杯、

だから隣人のために生きられたならば、

きっとそれこそが「おかしな人間」

 

人から好奇の目で見られても、

正しくあろうと生き続ける。

そんな「おかしな人間」


自分を愛しつつも、

同じように人を愛する。


心からそう思えたならば、

本当に満たされるのだろうな。


人間は強く儚い生き物だから、

それが難しいのだけれども、

 

善く在りたいけれども、

欲望に負けてしまう。

 

そこにある葛藤、

 

男が人類を愛おしく思ったように、

そういう不器用さに、

人の魅力ってあるのかな。